「タヌキ寺さん」というお客さんがいます。

この方は、あるお寺の住職さんで、時々このお寺にタヌキが現れて悪さをするという話から「タヌキ寺さん」と呼ばさせていただいていたんですが、、、

昨夜、ヒョコッと半年ぶりくらいに来店してくれました。

お久しぶりです、と声をかけると、彼はいつもの笑顔で挨拶を返してくれました。

通常なら、お客様のボトルは3か月ほどで流してしまうのですが、「ただの流し忘れ」でタヌキ寺さんの焼酎のボトルが棚に残っていたんですよね。

「あった、ありましたよ」と

そのボトルをカウンターに置くと、彼の顔が一瞬で明るくなり、「ありがと~!」と満面の笑みを浮かべてくれました。

そんな些細なことで、こんなに喜んでもらえるなんて、、、

たまたまボトルが残っててよかったー、と私も思いました。

いつものようにゆっくりと焼き鳥、読書、焼酎を一人静に楽しんでくれたんですが、、

帰り際の彼の一言が、心に重く響きました。

「体調が悪くてひさしぶりに来れてよかった。精密検査の結果が良ければまた来ます。いや、悪くても来ます。もしかしたら、今日が最後かもしれないけど…」

その言葉を聞いて一瞬固まってしまいました。

「エッ、どういうこと?」と。

タヌキ寺さんの笑顔はいつも通りだったんですが、目元には悲しみが宿っているように見えたんですよね。

おそらく彼は自分の身体の状態を知っているのでしょう。

その時、私は彼の言葉の重みを感じ、深く考え込んでしまいました。

「もし、今日が人生最期の日だったら、自分は何をするだろう?」

若い時にくらべると、まだ、一日一日、一分一秒の重みを感じられるようになったとはいえ、

なかなかそんなことをマジマジと考えることはありません。

日々の生活に追われ、今日が人生最期の日だなんて考えもせずにノウノウと過ごしています。

しかし、タヌキ寺さんの言葉は、そんなアタリマエの日常を一瞬で覆し、私に大きな問いを投げかけました。

もし、今日が自分の最期の日だったら、何をするだろう?

大切な人に会いに行くだろうか?

それともいつも通り仕事をするだろうか?

答えはすぐには出ませんでしたが、、、

きっと、いつも通りのことをしているんだろうなと思いました。

焼き鳥を焼きながら、お客様と笑い合い、話を聞いているんだろうなと。

それが自分にとっての幸せであり、生きる意味だからです。

タヌキ寺さんは「つかさの焼き鳥を食べに来る」ことを、もしかしたら彼の最期の希望のひとつにしてくれたのかもしれない。

そのことを思うと、胸が熱くなりました。

私の焼き鳥が、誰かの人生にとって、最後に食べたいもののひとつになれる。

それは、ただの料理ではなく、心をつなぐものなんだと感じたとです。

だからこそ、今日も明日も明後日も、焼き鳥を焼き続けます。

毎日が人生最期の日だと思って、一串一串をていねいに心を込めて焼いていきます。

タヌキ寺さんがまた来てくれるその日を心待ちにしながら、、

そして、自分に問い続けるとです。

「もし、今日が人生最期の日だったら何をするんだろう?」と。

今日も今日とて、焼き鳥です。

いつもありがとうございます。