執着を手放すこと。
それは、サラ金の借金を一括で返した時の解放感に似ている。
執着にもいろいろある。
お金の執着、人間関係における執着、物質的なものに対する執着。
執着は私たちの視野を狭め、人生本来の豊さに気づけなくなる原因となる。
お金のことばかり考えると、人間関係や健康、楽しみが二の次になってしまうことが多い。
お金はあくまでも手段であり、目的ではないという視点を持つことが、執着から解放される一つの方法かもしれない。
人間関係においても同じことが言えるだろう。
長い付き合いだからといって、必要以上に維持しようとしたり、無理に仲を保とうとしてしまったりしてしまうことがある。
たとえば、結婚して10何年、、、何事もなく過ごしてきたけれども、完全に冷めきってしまった。
毎日毎日、「はぁ~」とため息ばかりの生活。
こんな結婚生活にしがみついているのも、執着かもしれません。
あと、物質的な執着も疲弊してしまう。
友達の元嫁の話だが、同じブランドの同じ洋服を色違いで何着も買ったり、
実際に履く靴は1足、2足なのに、クローゼットは高級ブランドの靴でいっぱいだったという話。
モノを手に入れれば入れるほど、満たされる反面、「もっと良いモノがあるはず」と感じてしまうのが執着の罠なんだろうなと思う。
そういえば、「薩摩炭火やきとり 居酒屋つかさ」の壁いっぱいに貼っていた「私が書いた書」も執着だった。
その「書」を全部キレイさっぱりと剥がしたんだが、、
キッカケは、娘のキツイ一言だった。
「宗教みたいで気持ち悪い」
この一言をもらったばかりの時はまだ
「イヤイヤ、そんなことはないぞ」
「お店の軸やお客様の声を書いているんだから、、」
「店のコンセプトとしてブレてないんだから、、」
と思っていた。
だけど、だんだん
「コレって、もしかして、執着ってヤツかな」
「気持ち悪い、宗教みたいだ、と思っているお客様はたくさんいるかもしれないな」
と思うようになった。
執着を手放す行為とは、「放棄する」ということではなく、新しい視点を得るための「再スタート」のようなものだ。
執着を手放すことで、私たちの内側に余白が生まれる。
その余白こそが、新たなアイデアや出会い、予期せぬチャンスを迎えるためのスペースとなるのだ。
うちの中3の息子も、スポーツでたくさんの挫折を経験してきたと思う。
4月1日生まれということもあってか、他の子よりも身体が小さくて、足が遅かったり、力が弱かったりして、なかなか追いつけなかった。
おそらく、他の子たちに「負けたくない」、「早く追いつかなければ」という焦りみたいなものがあったのかもしれない。
でも、今ではサッカーチームで自信を持ってプレーしている。
「焦り」という「執着」を手放すことで、心に余裕が生まれ、自分のペースで成長できるようになったのだと思う。
成長には時間がかかるものだが、コツコツ努力を重ねれば、必ず結果が出るということを息子の姿から学んだのだ。
焼き鳥を焼くときも同じで、、
一本一本、焦らずに丁寧に焼き上げることで、素材がある本来の美味しさが引き出されるものだ。
外はカリっと、中はジューシーに。
無理に急ぐのではなく、時間をかけて、最大限の美味しさを発揮できるのだ。
ココ最近の私は、日常生活の中で「手放す」ことを意識している。
人間関係にしても、お店を経営していくうえでも、自分の凝り固まった考えを手放すたびに、新しい発見があるからだ。
「執着」を手放すことで、秋風を心地よく感じる。
そんなことを感じつつ、
やっぱり、今日も今日とて、焼き鳥です。
いつもありがとうございます。