気が付くと、今日はクリスマスイブだ。

お店的には、クリスマスだからといって、

ツリーを飾ったり、メニューが特別に変わったりすることはない。

普段と変わらない日常が静かに流れている。

そんな中でかかってきた1本の電話が、私の心に小さな笑いの種をまいてくれた。

「セージ、川畑じゃっどん。クリスマスはゴテ焼きをしちょっどが」

「しちょらんとか」

「しちょっどが」

「塩焼きで2本焼いてくれや」

「25日の夕方5時くらいに取りにいっで」

「ヨーコと二人やっで2本よね~」

「クリスマスやっでゴテを食わんにゃ」

「クルシメマスじゃねど。クリスマスやっでねぇ、ガハハハハハハ」

こってこての鹿児島弁と「クルシメマス」というつまらな過ぎるオヤジギャグが、思わず私を笑わせた。

この声を聞いて懐かしさがこみ上げてくる。

この川畑さん。

今は歳をとって、あまりお店には顔をださなくなったが、

昔は、毎晩のように飲みに来てくれていた。

飲みすぎたら、いろんなことをやらかす大先輩で、当時はケンカすることもあったけど、お互いに歳をとると、そんなことも懐かしく感じる。

実は数年前に川畑さんが前立腺がんを患ったという話を耳にしていた。

チョッと気にはなっていたけど、こうして電話越しに元気そうな声を聴けて、なんか、安心した。

むちゃくちゃ元気そうで安心したと同時に「病気なんてものともしない」といった川畑さんらしさを改めて感じた。

店内は穏やかな日常が続いている。

常連さんからの予約やテイクアウトの応対、カウンター越しの会話など、落ち着いたやり取りのなかに時折ユーモアが交わる。

こうした何気ないやり取りが、店の空気を和ませてくれる大切なひとときだ。

思えば、これまで接客をしていて、こうしたジョークや笑顔の力に何度も救われてきた。

お客さんとのやり取りのなかで、

ふいに「アナタが焼く焼き鳥を食べるのが楽しみで、この店に来てるんだよ」

と言われたときの喜びは、言葉にできないほどだった。

その言葉は、ただの挨拶以上の重みがあった。

自分の存在が誰かの小さな楽しみになっているのだと感じた瞬間、胸が温かくなり、やりがいを再確認した。

冗談を交わしながらお互いに笑い合えたとき、そこには仕事の枠を超えたつながりが生まれていた。

笑顔が生む空気感は、どんなに忙しい日でも、疲れた心を癒してくれる。

お客さんとのそうした瞬間の積み重ねが、いつしか私の支えとなり、この店を続ける原動力となっていた。

「クルシメマス」というジョークに思わず笑ったこの日、ふと振り返ってみると、自分自身もいつの間にか笑いを忘れかけていたことに気づいた。

毎日同じように思える日常でも、その中には笑いや気づきが散りばめられている。

それを見つける余裕が、忙しさの中で失われがちな心の明かりを取り戻してくれる。

笑いは、ただ楽しいだけではなく、不思議な力を持っている。

それは人と人との距離を縮め、厳しい現実にほんの少しの温もりを加えてくれるものだ。

川畑さんの「クルシメマスじゃねどー」という言葉には、どーーしようもないオヤジギャグのようだけれども、そんな笑いの魔法が詰まっていた。

それは生活に追われる日常に、ふとした明るさを灯し、重たい空気を軽やかに変えてくれるような力だった。

川畑さんとのやり取りを思い返しながら、私は改めて感じる。

今日もまた、何気ない日常の中にこうした小さな気づきや笑いが隠れているのだと。

そしてそれが、この店を続けていく理由の一つでもある。

特別なことは何もないけれど、特別な思いを込めて焼き鳥を焼いてゆく。

それが、私の日常だ。

ルーティンだ。

ポリシーだ。

アイデンティティだ。

そんなわけで、やっぱり、今日も今日とて、やきとりです。

いつもありがとうございます。