「♪デンデンデラン、デンデンデラン…」

気づけば口ずさんでいるこのリズム。

特に深い意味はないが、どこか懐かしい感覚を呼び覚ます。

このフレーズは20年以上前、子どもが通っていたダンス教室で聞いた曲の一部だ。

教室ではイベントやお祭りがあるたびに子どもたちが踊り、その音楽が流れた。

もちろん、親として応援のために通っていたが、個人的には別の楽しみもあった。

それは、子どもたちと一緒に踊るダンサーのお姉さんたちを眺めることだった。

特に印象に残っているのは、小柄でありながらひと際OPが目立つ女性。

リズムに合わせて軽やかにステップを踏む彼女のOPの動きには目を奪われた。

イベントでは必ず最後に「♪デンデンデラン」の曲が流れ、彼女たちが華やかにステージを締めくくるのが定番だった。

そんな姿を見ながら、いつしかこのリズムが私の口癖となり、気づくと日常的に「♪デンデンデラン」と口ずさんでいた。

それから月日が流れ、あれから20年以上が経った。

子どもは成長し、私もそれなりに年を重ねた。

正月には久しぶりのお客さんが店に顔を出し、必ずと言っていいほど「老けましたね―」と笑いながら言われる。

冗談交じりとはいえ、自分でも鏡を見ればその変化を実感せざるを得ない。

時間というのは恐ろしいものだが、同時に不思議な感覚もある。

そんな昨夜、ひとりの女性客が声をかけてきた。

「覚えていますか?」

どこか見覚えがある。

だが、記憶の糸を手繰り寄せるには少し時間が必要だった。

「あっ!?、、、、もしかして、、」と気づいた瞬間、、

脳内に♪デンデンデランが流れてきた。

彼女も嬉しそうに笑った。

「そうです、ダンス教室で子どもさんといっしょに踊っていました」

その言葉に一気に記憶が鮮明によみがえった。

あのイベントのステージ、その華やかな踊り、そして何よりもリズムに合わせて揺れるOP

彼女が20年前の「デンデンデラン」の彼女であることが分かった瞬間、なぜだか恥ずかしくも懐かしい感覚に包まれた。

「もう20年も経つんですね…」

お互いに驚きながら、少しだけ昔話に花を咲かせた。

その中で、彼女は笑いながらこう言った。

「牛乳プリンを作ってくれてた奥さんはもういないんですか?ハハハハハハ」

こちらの家庭事情を知っているようだった。

彼女は今では県外で、個人事業主として頑張っているという。

私が「老けましたね」とお客さんに笑われている間に、彼女もまた時の流れの中で、変わりゆく景色を受け入れながら歩み続けてきたようだ。

その姿は、過ぎ去った日々を一つ一つ丁寧に積み上げて、新しいステージに立つ強さを感じさせるものだった。

この再会をきっかけに、私は「時間」というものについて考えてみた。

過去は過ぎ去ったものではなく、いつも心の奥深くにしまわれている。

そして、それがふとしたきっかけで現在と交差する。

その瞬間、過去の出来事がただの思い出から新たな意味を持つようになるのだ。

正月にお客さんと交わす「老けましたね」という会話も同じだ。

初めは冗談として笑い飛ばしていたが、それが何度も繰り返されるうちに、どこか温かさを感じるようになった。

自分の変化に気づいてくれる人がいる。

その存在に時には照れくささを感じることもあるし、葛藤が生まれることもある。

しかし、そんな視線があるからこそ、自分がどんな道を歩んできたのかを振り返るきっかけになるのだ。

そう思うと、やはりありがたいものなのだろう。

一方で、「♪デンデンデラン」の彼女との再会は、私に若かった頃の自分を思い出させてくれた。

彼女の揺れるOPを見て心を躍らせていたあの頃、無邪気に子どもの成長を見守り、目の前の出来事を純粋に楽しんでいた自分。

その時の感情が、20年後の今でも鮮やかに蘇る。

過去と現在をつなぐ時間の力には、本当に驚かされるばかりだ。

ふとした再会や何気ない会話が、私たちに新しい気づきをもたらしてくれる。

それは、過去と現在をつなぎ、未来に目を向けるための大切なヒントとなる。

昔、無邪気に「♪デンデンデラン」を口ずさんでいたあの頃の自分も、

今こうして正月に「老けましたね―」と笑い合った自分も、

同じ線の上にいる。

時間の中で、私たちは常に変わり続けているが、その変化を楽しむことで未来への希望が生まれる。

「これからの時間も少し楽しみになってきた。」

そんな気持ちを抱きつつ、やっぱり、今日も今日とて、やきとりです。

いつもありがとうございます。