「最近、高倉健の映画ばっかり観ている」

「へぇー、何を観た?」

「えーと、幸せの黄色いハンカチでしょ、駅でしょ、夜叉でしょ、あと、居酒屋兆治を観た」

「オレね、健さんの映画はほぼほぼ制覇しているよ。健さんの映画といえば、あれ観てないの?鉄道員(ぽっぽや)」

「そういえば、観てないわ」

「ぽっぽやは観た方がいいよ。オレなんかバケツ一杯涙が出るんじゃないかっていうくらい泣いたもんね」

そんな友人との会話を思い出して、昨夜、「鉄道員(ぽっぽや)」を観たのだ。

「バケツ一杯の涙って」と半信半疑だったが、観始めてすぐに引き込まれた。

北海道の雪景色の中、ひとり駅に立つ高倉健。

その後ろ姿だけで、彼の生きてきた時間の重みが伝わる。

映画は、鉄道に人生を捧げた男、ほろ舞駅の駅長・佐藤乙松の物語。

仕事一筋で、家族との時間を犠牲にしてきた彼は、生後間もない娘を亡くし、妻も先立ってしまう。

それでも、彼は駅に立ち続ける。

「ぽっぽや」としての人生を全うしようとする。

映画の序盤から、ジワジワと胸を締め付けられる。

終盤は、過呼吸になるんじゃないかというくらい胸が苦しかった。

高倉健の演じる男は、決して感情を露わにしない。

それでも、その沈黙の奥にある哀愁みたいなものが、観る者の心に深く沁みる。

そして、映画を観ながら、ふと気づいた。

娘たちが小さかったころを思い出していた。

あのころ、娘はよく「おんぶして」とせがんできた。

仕事で疲れていても、家の中をグルグル歩き回りながらおんぶしてやった。

布団に寝かせると「もっと!」と小さな手を伸ばしてくる。

その手の温かさ、背中に伝わる寝息。

そのひとつひとつが鮮明に蘇ってくる。

あと、どこへ行っても肩車をしてやると喜んでいた光景も、同じように思い出される。

娘たちは今、東京で暮らしている。

大人になり、もう「おんぶして」なんて言うことはない。

そう思うと、なんとも言えない気持ちになった。

映画の終盤、亡くなった娘が駅に現れる場面がある。

そこで彼女が、父のために「ぽっぽやでよかったね」と微笑む。

ここで涙腺が崩壊した。

乙松は、気づけば大切な人をすべて失っていた。

それでも、彼の生きた証は確かにそこにあった。

映画を観終えて、ぼんやりと考えた。

人生なんて、あっという間だな、と。

仕事に打ち込み、時間が過ぎていく中で、何かを失っていく。

それでも、その時間が無駄だったわけじゃない。

ぽっぽやとしての人生も、娘と過ごした日々も、確かにそこにあった。

思えば、娘たちが小さかったころの時間は、今では懐かしい思い出になってしまった。

そう思うと、今、目の前にある日常を、もう少し大切にしようという気持ちになった。

娘たちとはたまに連絡を取っている。

結局、次に帰ってきたときも、いつも通りの会話をするだけだろう。それで十分だ。

バケツ一杯の涙とはいかなかったが、心の奥までボディブローのようにじんわりと沁みる映画だった。

鉄道に人生を捧げた男の姿を見ながら、自分の歩んできた道をふり返る。

そして、ふとした瞬間に思い出すのは、決して特別な出来事ではなく、何気ない日々の温もりだった。

「鉄道員(ぽっぽや)」は、そんなかけがえのない時間を教えてくれた気がする。

映画を観終えた後、今頃娘たちは何をしているのかなと思い、携帯を手に取ったが、結局そのまま画面を閉じた。

次に会うときは、「鉄道員(ぽっぽや)」の話でもしてみようか。そんな些細な会話が、いつか懐かしく思える日がくるのだから。

今日も今日とてやきとりです。

いつもありがとうございます