「なぜ、自分はあのとき続けられなかったんだろう?」
そんな問いが、ふいに胸を刺した。
奥さんと娘さんと楽しそうに焼き鳥を食べる、あの人は──
20年前、ぼくが通っていた空手道場の先生だった。
空手も、家族も、事業も、変わらず続けている人の背中を見て、
僕は自分の“やめてしまった理由”を思い出した。
「できない理由」を並べてた僕が、20年後に見つけた“続ける力”の話
「今日は、奥さんの誕生日やねん」
そう言って、ニコニコしながら店に入ってきたのは、奥さんと娘さんを連れた旦那さんだった。
すぐに気づいた。あの笑顔、あの姿勢、あの雰囲気。
20年前、ぼくが通っていた空手道場の先生だ。
当時のぼくは、仕事にもプライベートにも悩みが多く、自信もなかった。
何かを変えたくて空手を始めたけれど、飲食業の仕事を理由に、なかなか稽古に通えず、やがてやめてしまった。
フェードアウト、というやつだ。
だけど、SNSではときどき先生の投稿を見かける。
道場での練習風景を見てると、
「え、マジ!?キレ増してんじゃね!?」とツッコミたくなるくらい、20年前と変わらない──いや、進化してる。
そんな先生が、今は家族と一緒に焼き鳥を囲んで笑っていた。
その光景が、なぜだか胸に深くしみた。
空手も、家族も、事業も、続けている。
当たり前のように、でもそれは当たり前じゃない。
一度でも「続けることの難しさ」を経験した人なら、わかるはずだ。
正直に言えば、ぼくは空手も続かなかったし、結婚生活も続けられなかった。
稽古に行けないのは仕事のせい。
休みの日は、パチンコの方が楽しい。
嫁の顔を見るのがしんどい。
……そんなふうに、「できない理由」ばかりを探して、自分を納得させていた。
でも、実はそれ、「納得」なんかじゃなくて、ただの“逃げ”だったんじゃないかと思う。
あのとき、「どうしたら続けられるか?」って、
本気で考えていたら、何かは違ったのかもしれない。
継続できる人とできなかった自分の違いは、才能でも環境でもない。
「問いの質」なんだと、最近になってようやく気づいた。
「どうせムリだろう」じゃなくて、
「どうしたらできるだろう?」と自分に問いかけていく。
すると、少しずつだけど、前向きなアイデアが出てくるようになる。
・時間が取れないなら、朝少しだけ練習できないか?
・パートナーとの関係がうまくいかないなら、自分が何をしてきたか振り返れないか?
・一歩踏み出せないなら、まずは“今の一歩”を小さくしてみるとか──
過去は変えられない。
だけど、未来を良くしたら過去も良いものになる。
問いの質を変えれば、これからの「続け方」はきっと変えられる。
昨夜の先生を見て、「積み上げた人」と「あきらめた人」の差みたいなものを感じた。
さて、ぼくは今日も焼き鳥を焼く。
炭火の前に立ち、いつもと変わらぬ動きをくり返しながら、静かに問い続ける。
「どうしたら、明日も続けられるだろう?」
できない理由を数えるより、できる理由を集めて生きていきたい。
今日も今日とて、やきとりです。
いつもありがとうございます。