「ほら、歩いてきたよ!」

そのひと言に、ぼくも、隣のお客さんも、思わず笑ってしまった。

座敷スタイルの焼き鳥屋に、いつも杖をついて来てくれる常連さん。
トイレに立つときは、そっと四つん這いになって移動していたその人が、
昨夜、笑いながら立っていた。

まるで『アルプスの少女ハイジ』のクララのように──。

焼き台の前に立つぼくの胸に、じんわりとあったかいものが広がった。

できるようになったのは、ほんの少しのことかもしれない。

でもその小さな一歩が、なぜか、こっちまで元気になった。

今日は、そんな「焼き鳥屋の奇跡」のお話です。

「ほら、歩いてきたよ」──四つん這いで通っていた常連さんが教えてくれた、“あきらめない力”と焼き鳥屋の奇跡

 

彼女は、もう何年も通ってくれている常連さんだ。
年齢は……たぶん、七十代くらい。

いつも穏やかに笑っている。

初めて来店したときから足が悪いようで、いつも杖をついてそろーっと来店してくれる。

申し訳ないことに、うちの店は昔ながらの“座敷スタイル”。
靴をぬいで上がる段差があって、フローリングに低いテーブル。

若い人ならなんともない構造でも、足腰が弱ってきた方や体格のいい方には正直つらい。

段差をやっとで超える姿を見るたびに、申し訳なく思う。

そんな彼女はいつも笑ってこう言う。

「だって、美味しいんだもん」

...ありがたいなぁと思いつつも、いちいち靴を脱がないといけないし、段差はいっぱいあるから「大変だろうな」と感じている。

一番大変そうなのが、トイレに行くときだ。

座敷から一段降りてスリッパをはかなければならない。

彼女は杖を置いて、ゆっくりと四つん這いになって進む。

一歩一歩、そろりそろりと。

昨夜、そんな彼女がトイレから帰ってきたときのことだった。

「ほら、歩いてきたよ!」

声のする方を見てみると、なんと、彼女が笑顔で立っていたのだ。

「あら~!?」

一緒に来てたお友だちもびっくりして、目をまん丸くしていた。

ぼくも思わず「ホントだ~!」と声が出た。

その瞬間、なぜか頭の中に浮かんだのが——
アニメ『アルプスの少女ハイジ』の、クララだった。

「ハイジ、見てて!」と叫びながら、車椅子を降り、自分の足で歩くシーン。
あの感動の名場面と、今この焼き鳥屋で起きた出来事が、自然に重なった。

お友だちがたずねた。

「お薬、変えたの?」

彼女は、いつも通りにニコニコしながら答えた。

「いいや~、リハビリをがんばってるのよ」

それを聞いたとき、胸の奥がじんわりと熱くなった。

何歳になっても、前に進む力ってあるんだな、と。

リハビリって、地味で孤独で、すぐには結果が出ない。
ときには痛みもあるし、気持ちが折れそうになることもあると思う。

でもそれでも、「やる」と決めて、コツコツ続けてきたんだろう。

その結果が、この“立って歩く”という姿につながっていた。

きっと彼女にとっては、ほんのささいな「できるようになったこと」なのかもしれない。

でも、それを見たぼくらは、ものすごく元気をもらった。
「すごいな」って、心から思った。

そして、思った。

人って、誰かが“できるようになる瞬間”を見たとき、
自分のことじゃなくても、すごくうれしくなるんだな、と。

まるでヤル気が空気感染してくる感じ。

彼女が立ち上がっただけなのに、店の空気が一段明るくなった気がした。

“笑顔の伝染”はよく聞くけど、“がんばりの伝染”ってのもあるんだな。

小さな一歩でも、見てるこっちの背中が自然と伸びることがある。

そういうのがきっと、“励まし合ってる”ってことなんだろうな。

たいそうな言葉はいらない。

ただ、そういうのを**「いい関係」って言うんだと思う。**

今日もまた、炭火を起こして、店の灯りに火を灯す。

誰にも気づかれないような一歩が、そっと踏み出される夜かもしれないから。

それを見逃さずにいられる場所でありたい。
焼き鳥の煙のむこうに、ほんの小さな希望が見えると信じて。

今日も今日とて、やきとりです。

いつもありがとうございます。