「小銭しか持ってないんですけど、大丈夫ですかー?」
その一言が、焼き台の前でせわしく動く僕の肩の力をふっと抜いた。
鹿児島・指宿の片隅で、小さな焼き鳥屋を営んでいると、ふいにこうして“いい言葉”に出会う夜がある。
それは、何気ないけど、心の奥にじんわり残るような言葉。
この夜の主役は、「まぁいっか」で物事をまるく収める、ある夫婦だった。
笑い声と「まぁいっか」が、焼き鳥屋をやさしくする夜
「小銭しか持ってないんですけど、大丈夫ですかー?」
そう言いながら入ってきたのは、ご近所に住むご夫婦と、笑顔のゆかいな仲間たち。
どうやら近くで友達の棟上げがあったらしく、その帰りにうちの店に立ち寄ってくれたらしい。
一瞬、「なんのことかな?」と思ったけど、すぐに「そういう意味か」と合点がいった。
餅まきで拾った小銭が財布の中にたくさんある、ということだった。
いきなり笑わせてくれるなぁ、と感心する。
いつものように奥の個室からは「ギャハハハ」と楽しそうな笑い声が響いてくる。
いつも「いい酒の飲み方するなぁ」と、焼き鳥をひっくり返しながら、つい口角が上がる。
注文を運び、お皿を下げ、また焼き台に戻る。
店は忙しくもなく、暇でもなく、ちょうどいい夜。
やがて会計のタイミング。
旦那さんが個室からひょいっと出てきて、「今日も美味しかったです。ありがとうございました」と、ニコリ。
でも──奥様たちが出てこない。
店先で待っていた旦那さんは、ちょっと不思議そうな顔をしながら、また店の中へ。
「あれ?なにしてんのけ?」
と覗き込んで、ほんの一瞬、眉をひそめたかと思えば──
「まぁいっか!」
と笑って、ふたたび外に出ていった。
この「まぁいっか」が、なぜかぼくの中で残った。
ぼくの周りにいる「いい人」って、たいていこの言葉を上手に使う気がする。
言い争いになりそうなときも、
思った通りにいかない日も、
相手に期待して裏切られた瞬間も──
「まぁいっか」と笑って、流して、ちゃんとその場にいてくれる人たち。
なんでもないように見えるけど、それって、実はすごいことなんだと思う。
この言葉は、決して“あきらめ”じゃない。
“そのくらいで怒らない”っていう、器の大きさかもしれない。
思えば、最近よく噛み合わない会話が増えた母とも、ぼくはこの言葉で折り合いをつけている。
今年83歳になった母は、年々“自分ワールド”が強くなってきて、話が通じないこともある。
健康食品にこだわってみたり、言ったそばから忘れてしまったり。
ときに心配になって、「大丈夫かな?」と胸がざわつく夜もある。
でも、そのたびに、「まぁいっか」と思うことにしてる。
完璧に理解し合わなくても、
全然合わない日があっても、
笑って一緒に過ごせたら、それでいいんじゃないかと。
そのうち、奥の個室から奥様方がニコニコして出てきた。
両手いっぱいに小銭を握りしめて──。
「餅まきの小銭は使った方がいいって言いますもんね」
そう言って、笑いながら会計してくれた。
なんて素敵な締めくくりだろう、と思った。
神様からのお裾分けみたいな小銭を、焼き鳥代に変える。
それはたぶん、「今日という日を楽しみ尽くす」という、最高の使い道だ。
人生って、たいてい予定通りにはいかない。
でも、「小銭がたくさんある夜」も、「噛み合わない会話」も、「思い通りにいかない現実」も、
「まぁいっか」で流せる人が、いちばん強いんじゃないかと思う。
餅まきの小銭みたいに、ちょっとした幸せを拾い集めて、
それを笑って使える人たちと一緒にいる。
特別なことなんてなくても、こんな夜を「いい日だった」と思える。
それが、ほんとのしあわせかもしれない。
今日も今日とて、やきとりです。
いつもありがとうございます。