念仏の鉄に学んだ、“背中で支える”ということ

「自分が何者なのかわからない」──そんなときは、自分がしびれた“あの瞬間”を思い出してみてほしい。
夢中になった映画やドラマ。その中に、あなた自身の生き方のヒントが隠れている。

好きなものが、あなたの生き方を教えてくれる

 

チュル:
「オヤジ、昨日もあれ流してたろ。“デレレーデレレー…”ってやつ。」

オヤジ:
「流してたよ。あれが鳴ると、背筋がピンとするんだよな。片付けも自然と気合い入る。」

チュル:
「それ、『仕置人』のやつ?」

オヤジ:
「そう、『新・必殺仕置人』。あの殺しのテーマが流れると、気持ちが整う。くたびれてても“もうひとふんばり”ってなるんだ。」


チュル:
「でもさ、ただのドラマのBGMだろ?」

オヤジ:
「いや、それがただじゃないんだ。あの音の裏には“生き方”が詰まってる。特に“助っ人無用”って回、観たことあるか?」

チュル:
「ないな、それ。」

オヤジ:
「年を取った元仕置人が、病気の妻のために仕事に戻るんだけど、もう動きが鈍い。そこに念仏の鉄が、何も言わずに影から支えるんだ。」

チュル:
「直接手を出すわけじゃなく?」

オヤジ:
「そう。でも肝心な場面では、しっかり決める。助けたとも言わない。ただ黙ってニヤッと笑う。それがたまらないんだ。」


チュル:
「……支えるって、そういうことか。」

オヤジ:
「言葉じゃなくて、行動で伝える。誰にも見えなくても、それでいいって思える。俺にとっての片付けも、それに近い。」

チュル:
「どういうこと?」

オヤジ:
「営業が終わって、誰もいない厨房で、83歳の母と二人で静かに片付ける。グラスを拭いて、炭を落として、シンクを磨く。誰が見てるわけでもないけど、手は抜かない。」

チュル:
「それって、仕置なんだ。」

オヤジ:
「俺にとってはね。」


チュル:
「息子さんにも、そうやって接してるの?」

オヤジ:
「この前、寝坊して“送ってくれ”って電話があった。車の中でずっと黙って外見てたよ。」

チュル:
「何か言った?」

オヤジ:
「“しっかりしろよ”なんて言わない。あいつが頑張ってるの、ちゃんと知ってるから。俺が言うのはいつも一言だけ。」

「お互い、がんばろうぜ」

チュル:
「……それ、響くな。」


オヤジ:
「念仏の鉄は、でしゃばらない。余計なことも言わない。でも、人をちゃんと見てる。そして、ここぞってときに動く。」

チュル:
「理想の父親像、ってやつ?」

オヤジ:
「かもな。いつか息子に“うちの親父、なんも言わんけど見ててくれたよな”って思ってもらえたら、それでいい。」

チュル:
「なんでそんなに鉄が好きなんだと思う?」

オヤジ:
「たぶん、自分が“どうありたいか”がそこにあるんだよ。“好き”って、理想の自分とつながってる。」


チュル:
「自己分析とかじゃなくて、“自分がしびれたもの”を思い出せってことか。」

オヤジ:
「そう。“なんであの人がカッコよく見えたんだろう?”──その問いの中に、自分の芯があるんだよ。」


チュル:
「で、今夜も流すの?」

オヤジ:
「もちろん。」

「今日も今日とて、やきとりです。」