自分の存在意義とはなんだろう。
そんなことをふと考える夜がある。
とくに、店を閉めた後、誰もいないカウンターでボーっと座っているときなんかに。
なにかを成し遂げたことはこれといってない。
肩書きがあるわけでもない。
SNSでバズったことも、トロフィーをもらったこともない。
ただただ、やきとりを焼いて、汗かいて、片づけて、また焼く。
そんな日々の繰り返しだ。
でも昨日、ほんの少しだけ、その”存在意義”ってやつが見えた気がした。
まだ日が残る夕方早い時間に、ひとりの男性客がふらっとやって来た。
「テイクアウトお願いしたいんですけど、できるまでココで飲んでもいいですか?」
注文はハイボールと、そのあてにやきとりを数本。
焼き上がりを待ちながら、カウンターでゆっくり酒を飲む。
どうやら最近、近所の引っ越してきた小学校の先生らしい。
「どんどん、ココ好きになってきました」
「こうやってちょこちょこ来てもいいですか?」
そう笑って帰っていった彼を見送りながら、なんだかいい気分だった。
この感じ、悪くないな——–と思ったのも束の間だった。
予約の個室のお客さんが来店。
そこからまさかのラッシュが始まった。
2名様が立て続けに6組。
さらに、3人組が入ってくる。
「おいおい、木曜だぞ、マジか?」
想定外の満席だ。
ドリンクの提供、焼き台の火加減、会計の確認——-すべてが頭の中で混線状態。
完全にキャパシティオーバー。
「あそこにハイボールだして、あそこにはから揚げだして、そろそろ串も焼かないとヤバいな」
還暦手前のオヤジが、汗だくで店内を右往左往する姿に、思わずお客さんたちも目をまん丸くする。
でも、誰ひとり怒らない。
「オーダー通ってますかー?」と聞かれたときも、「通ってたら大丈夫です、ゆっくりで」と笑ってくれる。
こちらが「遅くなってすんません」と謝ると「ありがとうございまーす!」と返ってくる。
焦って走り回りながら、ふと「オレって、今なにやってんだろう」って思った。
...なんだこの空気は。
バタバタしているはずの自分が、なんだか救われている。
ようやくラストオーダーの時間が見えてきたころ、最後に来た3人組の注文にミスをしてしまった。
最初に頼まれたやきとりの盛りあわせを、勘違いしてもう一度出してしまったのだ。
「えっ?コレ頼んでないですけど...」
「すんません、ダブってしまいました。今日はお待たせしたので、サービスします。よかったら、食べてください」
そう伝えると、すぐさま返ってきた言葉は——-
「いやいや、美味しいんで、ちゃんとつけてください」
...ああ、まただ。
なんでこんなにも、今日はあたたかい言葉をもらえるんだろう。
帰り際、その3人組が言った。
「大将がつかささんっていうの?」
店名が気になったようだったので、少し説明をした。
すると「名刺とかあります?もしあったら欲しいです」と言ってくれた。
名刺を3枚、手渡す。
ひとりの若い男性がそれを見て、ふっと笑いながらこう言った。
「おおむらせいじさんっていうんだー、また絶対きます。だって、おいしいんだもん」
そのとき、心のどこかで「カチッ」となにかが嚙み合った。
「コレだ」と思った。
社会に”すごい”と言われるような何かを成し遂げたわけじゃない。
だけど、自分がつくったものが、人の心に残っている。
また来たい、また食べたい、また会いたい——–そう思ってもらえた。
それはつまり、”社会に価値を生みだした”ということじゃないか。
「おいしかったです」「また来ます」
その一言で、”社会にいてもいい理由”をもらえるのかもしれない。
自分の存在意義なんて、たいそうな言葉じゃなくていい。
今日という日を全力でやりきって、誰かがまた来てくれる。
それだけで、じゅうぶんだなと思う。
昨夜はそんなふうに思えた夜だった。
今日も今日とて、やきとりです。
いつもありがとうございます。