花屋さんからもらった小さなガジュマルを、大切に育てている。
店の隅にちょこんと置かれていて、誰に見られるわけでもないけど、ただそこにある。
2日に一度くらいのペースで水をやって、毎日じっと眺める。
声をかけるでもなく、ただただ眺める。
「かわいいなぁ」
思わず、そう言ってしまう。
誰かに見られると、ちょっと恥ずかしいところだ。
「どうした急に」と笑われるかもしれないけど、べつに構わない。
ガジュマルは、本当にかわいいのだ。
しばらく見ていると、小さな芽がポコッと生えているのに気づく。
「おお、また出てる」
それだけで、なぜかうれしくなる。
なぜ、こんな当たり前なことに感動しているんだろう。
思い返してみると、ガジュマルを眺めながら、”成長”っていうことにいちばんの喜びを感じているからではないかな、と思った。
子どもたちの成長。
店の変化。
自分自身のちょっとした変化。
どれも、すぐに見えないけど、少しずつ、たしかに変わっていく。
だけど、この感覚って、今の社会ではなかなか味わえない気がする。
いまの世の中は、とにかくスピードだ。
「成果を出せ」
「数字で示せ」
「原価率を下げろ」
「早く」
「もっと」
「すぐに」
ビジネスも、教育も、SNSの世界も、税務署も、どこもかしこもそんな空気に包まれている。
“芽が出るまでの期間なんて、スキップしろ”と言わんばかりだ。
一晩で大きくなったアカウント。
1年で急成長した会社。
月収○○万とか、秒速で稼ぐとか、手っ取り早く稼げる数字にばかり注目が集まる。
でも、ガジュマルはそんな世界にはまったく無関心だ。
音もなく、ゆっくりと、確実に、芽を出す。
あわてず、焦らず、他と比べることもなく。
そんなガジュマルを見ていると
「急がなくていい」
「比べなくていい」
「今日もコツコツ淡々とやっていけばいい」
そんな声が聞こえてくるような気がする。
そういえば、小学校の低学年時代は”育てる”という感覚が、もっと身近にあったような気がする。
アサガオを育てて観察日記をつけるように、「おお、芽が出た!」「花が咲いた!」と大騒ぎしていた。
それがいまでは、いつの間にか
「成果の出ないものには意味がない」
「手っ取り早く。確実に」
そんな価値観が当たり前になっている。
けれど、本当に大事なことは”すぐに目に見えないもの”の中にあるのではないかと思う。
人の気持ちも、信頼も、仕事の手応えも、ぜんぶ時間がかかる。
それを面倒がったり、焦ったり、スキップしてしまうと、あとには何にも意味のない数字だけが残る。
ガジュマルは、黙ってたしかに成長していく。
葉っぱを増やし、幹を太くしている。
手っ取り早さや華やかさには惑わされずに、子どもたちやお店や自分自身の小さな”成長”を見逃さない人間でありたい。
そんなことを、ガジュマルがそっと教えてくれているような気がした。
今日も今日とて、やきとりです。
いつもありがとうございます。