またかよ、、、、と、思わずため息が出た。
夕方前の仕込みで忙しい時間帯に、ポロシャツを着た男が「お忙しいとこすみませーーん」と店に入ってきたからだ。
こういうときにやってくる営業は、たいてい胡散臭い。
こちらの都合なんてお構いなしに、自社商品を押し付けるように話していく。
だから正直、「勘弁してよ」と心の中でつぶやきながら、ちょっと迷惑そうに「はーーい、何?」と返した。
ところが、この男は違った。
「以前サンプルをお渡ししたカネヨ醤油ですけど、味見されました?」と切り出したあと、少し照れくさそうにこう言った。
「不味かったと言われるのが怖かったけど、勇気を出して来ました」
営業の口から「怖かった」なんて言葉を聞くのは初めてだった。
作り笑顔も虚勢もない。
そこには人間らしい弱さと正直さがあった。
思わず、こちらも肩の力が抜けた。
ぼくは今フジジンの醤油を使っている。
焼き鳥のタレもこれで作っていて、いまのところこれがベストだと思っている。
調味料って一度慣れると変えたくないものだ。
だから、新しい醤油の話なんて聞くだけ無駄だと思っていた。
だけど、この営業マンの前では、なぜか素直な言葉が出てきた。
「この醤油で煮物を作ったんだけど、めっちゃ美味しかった。刺身もイケた」
すると、彼は目を輝かせながら言った。
「うわー、煮物なんてもったいない。でも、この醤油には黒糖が入っているので、一味違いんです。何かを”作る”っていうのにすごく向いているんですよ」
考えてみたら、このとき初めて彼は自分の会社の商品のアピールをした。
それまでは、ぼくの話を聞き、絶対に否定はしなかった。
フジジンを使っていると言えば「あーー、フジジンですか!美味しいですよね、わかります」と共感する。
こちらが心を開いたタイミングで、ようやく自分の商品を語り出す。
ぼくが「どんな醤油なの?」と興味を持つ流れを、自然につくっていた。
営業の教科書に出てきそうな話だが、目の前で実演されると「なるほど」とうなずくしかない。
気づけば「見積もり出してもらえる?」と口にしていた。
この営業マンを見て、改めて思った。
「やっぱり、自分でいいと思う商品じゃないと、商品は売れない」
当たり前のことのようだが、いまの社会を見渡すと、それができていない例の方が多い。
タイムラインを見れば『うちのサービスは顧客満足度No.1!』なんて文句ばかり。
けど、あれで心が動いたことが一度でもあるだろうか。
企業も政治家も「本当に信じているもの」を語らなくなった。
顧客満足度何%、売り上げ前年比何%、世論調査の支持率、、、、。
そこの血の通った言葉がないから、人の心は動かない。
結果として「誰も信用できない社会」が広がっている。
だからこそ、この営業マンの「心から美味しいと思っている」という素直さは、やけに胸に響くものがあった。
彼が語っていたのは、単なる醤油のスペックじゃない。
自分が信じているものの魅力だった。
人は”良いもの”そのものよりも、”それを本気で信じている人”に心を動かされる。
これは営業だけの話ではない。
親が子どもにかける言葉も、店主がバイトに出す指示も、友人に送る励ましも同じだ。
信じていない言葉は、どんなに上手に整えても伝わらない。
逆に、つたなくても心から出た言葉は相手の心に届く。
さらに、この話は地方の未来にも重なる。
カネヨ醤油もフジジン醤油も、全国的に大手ブランドに押されるローカル企業だ。
スーパーの棚を眺めても、大手のロゴばかりが目につく。
カネヨやフジジンの瓶は隅っこに追いやられている。
気づけば、子どもの頃から当たり前にあった味が消えていく。
地方産業の衰退は大きな社会問題だ。
だけど、もし「自分の会社の味を心から信じている人」が地域に増えていけば、まだ可能性はあるのではないか。
地元の焼酎を勧める居酒屋の親父もそうだし、うちの焼き鳥屋だって同じだ。
自分の焼き鳥を「心から美味い」と信じて焼いているからこそ、煙ごと伝わって、お客さんの笑顔につながるのだと思う。
営業マンの姿は、そんな商売の原点を改めて思い出させてくれた。
「人は信じているものしか伝えられない」という真理がある。
今日も今日とて、やきとりです。
いつもありがとうございます。