飲食店をやっていると、「このタイミングで来るか?」という出来事が不意に訪れる。

先日もそうだった。

夕方、予約が一組入っているだけで、店はまだ静かだった。

仕込みを終えて一息つこうと、座敷でごろんと横になった。

フローリングの冷たさと硬さが気持ちよくて、そのまま意識が落ちてしまった。

「ガラン!」と、ドアの音に飛び起きる。

寝ぼけ眼で入口を見やると、逆光の中に人影が立っていた。

西陽を背に、顔は影になっているが、どこかで見たことがある気がする。

誰だ……?

ぼんやりしている頭に、男の口元の笑みだけが鮮明に残る。

 「必ず約束は守るって言ったでしょ」

その声を聞いた瞬間、脳が目を覚ました。

そうだ、この人は税務署の職員だ。

何日か前、消費税の分納の相談に行ったときに「今度お店に寄らせてもらいます」と言っていたあの人だ。

心の中では「いやいや、来ないでくれー」と叫んだのに、本当にやって来た。

しかも、よりによって爆睡していたタイミングで。

やっぱり税務署は突撃が好きらしい。

 三人連れだった。

幸い十人ほど入る個室が空いていたので、すぐそちらに案内する。

彼らは「わー、いいんですか?」と喜んでいたが、こちらとしては「見えないところに押し込めてホッとした」というのが本音だった。

カウンターに座られでもしたら、串を返すたびに視線が刺さり、炭火より熱くなりそうだ。

それでも気になる。

焼き鳥を焼きながら、つい彼らの飲み方をちらちらと観察してしまう。

税務署に監査されている気分だった。

しかし、観察しているうちに、別の意味で驚かされた。

彼らの飲み方が、あまりにも無駄がなかったのだ。

 最初の一杯は生ビールで乾杯。

勢いをつけたかと思うと、すぐにボトル焼酎へ切り替える。

あとは三人でちびちび回しながら、ゆっくり飲む。

つまみは鳥刺しと焼き鳥の盛り合わせ。

最後に焼きおにぎりで締め。以上。

派手な追加注文も、だらだら迷うこともない。必要なものを必要なだけ、きっちり選んで楽しんでいる。

 伝票を見て、さらに驚いた。

ひとり当たりおよそ三千円。

今どき三千円で飲み会を済ませるなんて聞いたことがない。

数字に強い人は、飲み方まで計算されている。

無駄がない。効率的。

まるで「飲み会の収支決算」を見せられたような気分だった。

対してこちらはどうだ。

昼寝から叩き起こされ、慌てて前掛けを締め、汗だくで串を焼く。

姿勢も呼吸もバタバタ。

無駄ばかりだ。

それでも、不思議と胸の中で否定する気持ちは湧かなかった。

むしろ「そうだよな」と思った。

無駄のない世界があれば、無駄だらけの世界もある。

焼き鳥の仕事は無駄の連続だ。

一本一本、串を打つ。煙にむせながら炭の火加減を読む。

お客さんに「まだ?」と急かされても、火が通るまで待たせる。数字だけで見れば非効率の極みだ。

それでも、その無駄があるからこそ、旨さになる。

世の中はどんどん「無駄をなくせ」と叫ぶ。

働き方改革、コストカット、効率化。

もちろん、それは大事だ。

でも一方で、人の心を動かすのは無駄の積み重ねから生まれるものだ。

税務署職員の飲み方に感心しながら、ぼくはそんなことを考えていた。

 無駄を嫌う税務署。

無駄で旨くなる焼き鳥。

対極にある二つの世界は、実は補い合っているのかもしれない。

数字が社会を支え、無駄が人を潤す。

そのバランスの上で、ぼくらは生きている。

昨夜、彼らは満足げに「ごちそうさまでした」と言って帰っていった。

去り際に一人が笑顔で「また来ますね」と言った。

ぼくは「ありがとうございます」と答えたが、心の中ではまたしても「もう来ないでくれー」と叫んでいた。

 それでも、思う。

数字を扱う人と、炭を扱う人。

その両方がいるから世の中は回っている。

税務署職員の無駄のない飲み方に、焼き鳥屋としての自分の無駄を重ね合わせたとき、妙に腑に落ちた。

無駄を削るだけが正義じゃない。

無駄を抱きしめてこそ、美味しさや物語が生まれる。

税務署に叩き起こされた夜、炭火の煙の向こうに、そんな真理が浮かび上がっていた。

今日も今日とて、やきとりです。

いつもありがとうございます。