まだ外が明るい夕方五時すぎ。
ガラッと扉が開いて、あの夫婦がまたやってきた。最近は定期的に顔を出してくれるようになったから、ぼくも「おっ、今日も来てくれたな」と心の中でにやける。
二人は決まってテーブル席に向かい合って座る。まずは生ビールで乾杯。カチンと響く音が聞こえると、店の空気まで軽くなる。旦那さんは静かで穏やか。奥さんはにこにこと笑いながら相づちを打つ。その雰囲気を見ているだけで、なんだか心がほぐれていく。
おつまみは焼き鳥。炭の匂いが立ちのぼるころには、二人のジョッキはすっかり空になっている。ここで旦那さんが「焼酎のロック」と言うのがいつもの流れだ。氷がカランと鳴って、夜のスイッチが入る。
こんな夫婦を見ていると、自然に「歳を取るのも悪くないな」と思えてくる。仲良く笑い合いながら串をつまむ。ぼくにとっては理想のお客さんだし、人生のお手本みたいでもある。
ところが、この前はちょっとした事件があった。
その日は旦那さんがいきなり「ボトルで」と言ったのだ。おお、ついにボトルキープ。棚に並ぶ一本のボトルが、二人にとっての「これからもここで飲むよ」という合図みたいに思えた。
「キープの期間はどれくらい?」と旦那さん。
「三ヶ月ですよ。でも、まあきっちり三ヶ月ってわけじゃないですけどね」と答えると、旦那さんはふいに地元の話を始めた。
「ぼくはね、丹波小、南指宿中、指宿高校出身なんだ。実家もすぐ近所でね」
ああ、地元の大大先輩じゃないか。心の中で思わず背筋を伸ばした。
ところが次の一言で腰を抜かした。
「ぼくと歳、いっしょくらいかな?」
いやいやいや、そんなわけないでしょ。心の中で「そんなアホな」と突っ込む。
「何年生まれ?」と聞かれ、正直に答えた。すると旦那さんは奥さんと顔を見合わせ、声をあげて笑った。
「ほら、ぼくの二個下だ」
「うっそーーん!」と声が出てしまった。奥さんはテーブルをトントン叩きながら大爆笑。
自分ではまだ若いつもり。頭の中なんて、いまだに中学生気分のままだ。なのに、人から見ればすっかり「そういう年齢」なんだな。ショックといえばショック。でも、不思議といやな感じはしなかった。奥さんがあんなに楽しそうに笑っているのを見ていたら、「まあそういうもんか」と思えてきたからだ。
たぶん、これが老いらくの恋の正体なんだろう。老いを深刻に受け止めすぎず、笑い飛ばせる関係。となりに笑ってくれる人がいれば、老いも重荷じゃなくなる。
油性ペンでボトルに名前を書く。黒い文字が棚に並ぶその瞬間、ただの酒瓶じゃなくて「二人の時間」を預かったような気持ちになった。居酒屋という場所は、こうして誰かの人生の風景の一部になる。そう思うと、ちょっと誇らしい。
その夜も二人は串を分け合って食べていた。皿の上で向きを変えるたび、また小さな会話が転がる。氷の音と笑い声が重なって、店はなんともあたたかな空気に包まれていた。
帰り際、二人はにこやかに手を振ってくれた。
その笑顔を思い出すと、「よし、この店もまだまだやれるぞ」って気がしてきた。
今日も今日とて、やきとりです。
いつもありがとうございます。