祭りの夜はいつも忙しい。
炭の煙が立ちのぼるカウンターで、オヤジと常連チュルの会話は止まらない。
若者の姿に思わず二度見した、その夜の話だ。
オヤジ:「昨夜も温泉祭りだったんだよ。花火が終わったら、ファミリーの注文でバタバタしてさ。そしたら次々と若い子たちが入ってきてよ。串返す手は止まらないけど、どうにも気になる連中がいたんだよな。」
チュル:「また派手な格好の子ですか?」
オヤジ:「そうそう。よく見りゃ、口からデカいピアスぶら下げてんだ。しかも男女合わせて六人。別々に来てるのに、みんなシルバー光らせてさ。焼き鳥食うたびにピアスがキラキラ揺れてんのよ。」
チュル:「食べづらそうっすね。串刺さったら大変じゃないですか。」
オヤジ:「だろ?俺も思ったよ。『流行ってんのかな?』『焼き鳥食べにくくないの?』『痛くないのか?』って頭の中で疑問符だらけ。で、一人の男の子に聞いたんだよ。口だけじゃなく眉からもピアス下げてたからな。」
チュル:「おぉ、ゴツそうですね。なんて言ったんすか?」
オヤジ:「『痛くないの?』って聞いたら、『ちょっと痛いっす』ってニッと笑ってんだ。……痛いんかい!って内心ツッコミよ。でもさ、その笑顔見て思ったんだ。彼らにとっちゃ、痛みもファッションの一部なんだなって。」
チュル:「なるほどねぇ。でも大将も若い頃は似たようなことしてたんじゃ?」
オヤジ:「そうなんだよ。髪伸ばして、柳屋のポマードをべったり塗ってテッカテカにしてな。朝は決まってんだけど、すぐ埃吸って頭が痒くなる。シャワーで洗っても水弾くし、シャンプーも泡立たねえ。それでも翌朝また塗っちまうんだよ。」
チュル:「快適さより“見せたい姿”ってやつですね。」
オヤジ:「そう。それが若さなんだろうな。不便でも痛くても、“これが俺だ”って姿を見せたい。口ピアスだろうがポマードだろうが、同じ穴のムジナよ。」
チュル:「そういや、女の子たちもなんかやってませんでした?」
オヤジ:「おぉ、いたいた。二人組の女の子。席についても注文しねえで、ひたすら写真撮ったりライブ配信したりしてんの。櫛で髪整えて、リップ直してるとこまで映してんだぜ。」
チュル:「へぇ〜、裏側まで見せるのが今っぽいですね。昔は“仕上がった姿”だけでしたもんね。」
オヤジ:「そうそう。完成品じゃなくて過程が大事らしいな。昭和の祭りは“消費の場”だったけど、令和の祭りは“発信の場”に変わっちまった。背景に花火も人混みも屋台もあって、スマホに映せば全部ステージよ。」
チュル:「でも根っこは一緒なんですよね?」
オヤジ:「その通り。『若者は変わった』って切り捨てるのは違う。昭和の若者だってリーゼント固めてラバーソール履いて“どうだ”と見せてたんだから。やり方が違うだけで、中身は同じよ。」
チュル:「“見せたい自分”ってことか。」
オヤジ:「そう。“見せたい自分”こそ、生きてる証なんじゃねえかなって思うんだ。」
チュル:「なるほど、大将もいいこと言うなぁ。」
オヤジ:「いやいや。ただな、祭りの夜に煙の向こうで笑う若者見てたら、素直にそう思ったんだよ。若さってのは“不便すら楽しめる力”なんだろうなって。」
チュル:「じゃあ大人はどうすりゃいいんすか?」
オヤジ:「簡単だよ。余計な口出しはせずに、黙って串を焼いてりゃいい。」
チュル:「ははっ、大将らしいっすね。」
オヤジ:「今日も今日とて、やきとりです。」