焼き鳥を焼いてたら、気づけばカウンターが国際会議みたいになってた。
白人の家族、韓国からのひとり旅、そしていつもの常連。
言葉は違っても、“うまい”は世界共通らしい。
最近、そんな夜がほんとに増えた。
昨夜もそのひとつ。外国人観光客が三組やってきた。
最初に入ってきたのは、かわいい男の子と女の子を連れたファミリー。
お母さんはカクテル、子どもたちはジュース、そしてお父さんはお冷。
最近こういう光景をよく見かける。
女性が大ジョッキをぐいっと飲み干し、男性が控えめに中ジョッキとか
女性がワインをグビグビ飲んで、男性が炭酸水とか。
昔なら逆だったけど、いまはもう、それが自然だ。
パワーバランスが静かに入れ替わっているのかもしれない。
焼き鳥の盛り合わせを運ぶと、子どもたちは手を叩いて喜んだ。
金髪の白人のお母さんは日本語が通じないと思っていたら、
「エグっ」と言って目をまんまるくしていた。
まさかの日本語。思わず笑ってしまった。
帰るとき、女の子がしっかりぼくの目を見て、
「とても美味しかったです」と丁寧に頭を下げた。
思わず「やられたな」と思った。
そのファミリー客と入れ替わるように、白人のご夫婦がやってきた。
焼き鳥を食べながら「グー」と親指を立て、笑顔のまま帰っていった。
さらに次に来たのは、韓国からひとり旅でやってきた男性。
言葉はほとんど通じない。
けれど、焼き鳥を頬張りながら、
「うん、うん」とうなずくその表情がすべてを語っていた。
“おいしい”という感情は翻訳をいらない。
言葉を超えて伝わる共通言語だ。
ふと気づく。
この小さな店が、いつの間にか“世界の入り口”になっている。
観光庁のデータでは、外国人観光客の目的地が都市から地方へと広がっているらしい。
有名観光地より、**「人の温度がある場所」**を求めてやってくる。
もしかすると、炭火の前に立つぼくの姿こそが、彼らにとっての“日本のリアル”なのかもしれない。
この光景を見ていると、「地方創生」や「多文化共生」といった言葉が、
急に身近なものに感じられてくる。
制度や政策じゃなく、“うまいね”と笑い合う瞬間から始まるものなんだと思う。
焼き鳥を焼く音、煙の匂い、客の笑い声。
それが、分断の時代に残された小さな共感装置かもしれない。
SNSやAIが進化して、人と人のつながりがどんどん“非接触”になっていく今、
焼き鳥屋のカウンターはまだ温かい。
ここには、世界中どこでも通じる感情がある。
「美味しい」「楽しい」「ありがとう」。
この三つがあれば、国も言葉も関係ない。
思えば、ぼくが焼き鳥を焼いている理由も、誰かに“おいしいね”と笑ってほしいからだ。
炭火の向こうで、笑顔がふくらんでいく。
地元の常連も、遠くから来た旅人も、焼き鳥の煙の中では同じ顔になる。
地元だけじゃない。日本だけじゃない。
炭火の前では、世界がひとつになる。
笑顔も、つかさの焼き鳥も、万国共通だ。
世界がちょっと近く感じた、そんな夜の話でした。
今日も今日とて、やきとりです。