自分の人生を取り返す。
なぜなら、自分で考え、自分で決断し、自分で責任を取る――
その繰り返しの中にしか、「本当の自分の人生」は戻ってこない。
とはいえ、自分の人生を取り返す作業は、口で言うほど簡単じゃない。
不安はあるし、孤独にもなる。
だからまずは、「自分を取り戻す時間」をつくることにした。
焦らず、自分の声を聞く時間だ。
自分の人生を取り返す作業は、
大きな挑戦じゃなく、日々の小さな選択の積み重ねだと思う。
芸人のヒロシが、ショート動画でこんなことを言っていた。
「自分の人生を取り返しにいく作業をしているんですよ」と。
男の平均寿命が八十歳として、ヒロシはタバコを吸うから七十歳くらいだろうと考えると、
残りは二十年もない。
二十年まるごと体が動く保証なんてない。
だから逆算して生きているという。
「ああ、もう時間がねぇ」と焦りながら、
高校のころに欲しかった原付を買い、バンドを始めた。
体が動くうちに、やりたいことを全部やって死にたい。
ヒロシはそう語っていた。
その姿を見て思った。――ああ、自分と一緒だな、と。
思えば、ぼくの人生はずっと“流されて”きた。
そういえば、店を始めたのも自分の考えじゃなかった。
実家の貸店舗が空いたとき、親が言った。
「居酒屋でもやってみれば?」
当時のぼくは無職で、フラフラしていた。
そこへ知り合いの叔父が乗っかってきた。
「おう、それはいい、やればいいじゃん」
居酒屋料理なんて作ったこともない。
けれど、そのときのぼくは考えるより先に「まぁ、いっか」と口にしていた。
なんとかなるかもしれない――そんな軽いノリだった。
叔父もぼくもど素人。
母は料理はできても、居酒屋メニューなんて知らない。
そんな三人で始めた“なんとかなるかも”の店が、
気づけば人生そのものになっていた。
あのころのぼくには、“自分の意志”というものがほとんどなかったと思う。
誰かに言われたことを「そうだね」と受け入れ、
無理なお願いも「まぁ、いっか」と引き受けた。
嫌なことがあっても、「波風立てるよりはマシだ」と自分に言い聞かせてきた。
そうやって周りの流れに身を任せて生きてきた。
気づけば、自分の声がどこにあるのかさえ、わからなくなっていた。
そんなぼくが初めて「自分の言葉」で何かをしようと思ったのが、文章を書くことだった。
お金もかからないし、手っ取り早い。
ぼくの心の奥から湧き出てくる“何か”を形にできそうだった。
たいした理由なんてなかったけれど、
これがきっかけで、少しずつ本当の自分を取り戻している気がする。
文字を見ると五秒で眠くなる男が、本も読むようになった。
マーケティングの本まで買って、マーカーを引いている。
正直、それが正しいのかどうかはわからない。
けれど、「このままでは終われない」という声が、心の奥でずっと響いている。
その声こそが、いまのぼくを動かしているんだと思う。
不安は、もちろんある。
めちゃくちゃある。
毎日が不安との闘いだ。
でも最近は、不安を悪いものだと思わなくなった。
不安は“自由の証”みたいなものだと思う。
どういうことかというと、誰かに守られている間は、不安なんて感じないってこと。
だから、ぼくはいまの不安を大切にしている。
孤独も同じだ。
以前は寂しさの象徴だったけれど、
いまは“自分と対話するための時間”だと思っている。
ヒロシは「人生を逆算して生きる」と言った。
ぼくは「いまを積み上げて生きる」と言いたい。
二十年先のことなんて誰にもわからない。
生きているかどうかも疑問だ。
そうは言っても、自分で考え、自分で決断し、自分で責任を取ることの繰り返しの中にしか、「本当の自分の人生」は戻ってこない。
だから、焦らず、自分の声を聞いていこうと思う。
自分の人生を取り返す作業は、大きな挑戦じゃなく、日々の小さな選択の積み重ねなのだ。
今日も今日とて、やきとりです。