人は、何をいちばん恐れているだろう。
死か、病気か、老いか、人間関係か。それともお金か。
生きていれば、誰もが何かを怖がりながら、なるべく安全な方向へ、そっと体を動かしてしまう。
だけど、最近本を読んでいて、ひとつ刺さった言葉があった。
「最も恐れているものこそ、最もする必要がある」
これは決して耳障りのいい名言とかじゃなくて、
”人生の急所だな”、と感じた。
というのも、この言葉は頭では理解できているのに、
心のほうがガッツリ拒否ってくる。
「イヤイヤ、怖いから逃げようよ」
「ムリムリムリ、怖いって、ムリだって」
そんな感情のほうがよっぽど強い。
ぼくにとって”最も恐れているもの”は、
ズバリ「支払い」だ。
銀行の借り入れが返せなくなること。
税金が払えなくなること。
支払いの期日が迫っているのに、売り上げが伸びない夜。
胸がザワザワするような、胃がこむら返りするような、
そんな嫌な感覚を思い出すだけで、体がこわばる。
そういえば、若いころ、酒屋の支払いを70万円も溜めてしまったことがある。
あれは正真正銘、人生最大級の「こわいもの」だった。
売り上げがしんどくて、支払いが遅れて、また遅れて、気づけば、ツケで仕入れるようになり、そのツケがまた売上の圧迫になっていく。
悪循環という言葉を、これほど鮮やかに体感したことはない。
この頃のぼくは、酒屋に電話するのが怖かった。
顔を合わせるのも怖かったし、ましてや「いまどれくらい溜まってるの?」って、聞く勇気もなかった。
聞いてしまったら、その瞬間に現実が確定する気がしたのだ。
だから、心の中でいつもこう呟いていた。
「時を待とう」
いや、待つなよ。
いま考えればそう思うけれど、
当時のぼくには、時を待つしかできなかった。
恐れの正体は、知らないほうが楽だ。
そんなこと知りたくもない。
金額がわからないからこそ、都合よく解釈してしまう。
「たぶん、30万くらいじゃね、そのくらいだったら団体客の予約で一撃で終わらすことができる」
とんでもない思い込みだ。
根拠のない自信もここまでくると、もはや才能なのかもしれない。
ただ、怖いものを避けてたらとんでもない副作用がある。
恐れは、曖昧であるほど肥大化するのだ。
「すみません」という電話の声が、
「何かの督促か?税金関係か?いや、なんだろう?」
と、心臓がバクバクする。
話を聞いてみると
「今夜なんですけど、まだ予約大丈夫ですか?」
というただの問い合わせだったとき。
なんともいえない安堵感がある。
恐れは、出てみるまでずっと怪物で、出たらただの”よくある日常”に戻る。
恐れとは、そんなものだ。
とはいえーー
やっぱり向き合うのは怖い。
それが本音だ。
名言はいつだって「なるほど」と思わせてくれるけど、感情はそう簡単に従わない。
「最も恐れているものに向き合え」と言われても、人間にはどうしても「とはいえ」がある。
とはいえ、怖い。
とはいえ、見たくない。
とはいえ、めんどくさい。
とはいえ、現実を知りたくない。
ぼくが酒屋に行くのを避けていた理由は、まさにこれだった。
でも、ある日ついにその日が来た。
酒屋の店長が少し気まずそうな表情で、
いや、気まずさを隠しきれない表情で、
ぼくに伝票を見せてきた。
「来た!」
「ついに来た!」
「時は来た!」と直感した。
ぼくは心臓がドクドクするのを感じながら、なるべく平静を装った。
「あーー、はいはい、すぐにお支払いしますよ」みたいな顔をした。
「いくらあんの?」
店長は「あ、はい」と慌てた様子で奥から伝票の束を持ってきた。
その束が、もう辞書みたいに分厚かった。凶器にすらなるくらいだった。
あまりの分厚さに、素の自分が出てきた。
尋常じゃない伝票の多さに困惑したのだ。
「何それ?そ、そんなあるの?」
震える声を隠しながら金額を確認すると、店長は申し訳なそうに言った。
「だいたい、70万くらいです」
そのとき、心の中で
「マジですか、、、、」
という言葉がなん度もこだました。
頭が真っ白になる感覚というのはこういうことなんだと、
はっきり覚えている。
ただ、その直後だった。
不思議と、胸のざわざわが一瞬だけスッと収まったのだ。
「70万」
この数字が、怪物の正体を教えてくれた。
それはもちろん軽い金額ではない。
むしろ重い。ガッツリ重い。
でも、50万かもしれないし、100万かもしれないし、
もっとヤバいかもしれない、という
あの曖昧で巨大化した怪物に比べれば、
“戦える相手”になっていた。
ここで気づいた。
恐れとは「曖昧さ × 放置時間」で巨大化する。
向き合った瞬間、
どんなに大きくても「事実」になり、
事実は扱える。
恐れは、正体が見えないから怖いのだ。
とはいえ──
向き合うのはやっぱり怖い。
それでも、向き合うしか前に進める方法はない。
そのため、ぼくがその後に決めたことがある。
「恐れに、小さく向き合う」
いきなり全部知ろうとしない。
いきなり完璧にしようとしない。
毎日、1枚だけ伝票を見る。
毎週、1回だけ支払いの棚卸しをする。
毎日、ひとつだけ不安を“輪郭化”する。
すると不思議なことに、
恐れはゆっくりと形が整いはじめ、
敵の姿が小さくなっていく。
らに、ぼくは恐れに“名前”をつけるようになった。
「酒屋の伝票70万問題」
「来月の税金モヤモヤ」
「売上足りないかも不安」
名前をつけると、敵はたちまち“扱えるもの”になる。
恐れというのは、人間にとって敵でもあるが、
もうひとつ重要な役割がある。
それは、弱点を教えてくれる“サイン”でもあることだ。
恐れがゼロの人間は、ただの無鉄砲だ。
倒れるまで無理をしてしまう。
だから恐れは、人生の中で
「気をつけろよ」と教えてくれるナビ
みたいな存在でもある。
恐れが教える方向に、
本当に向き合ってみると、
人生は少しずつ軽くなる。
最も恐れていたものに手を伸ばした瞬間、
ぼくの中に小さな自信が生まれた。
逃げなかった自分への信頼。
あの日、恐怖と向き合ったことが、
その後の人生の支えになっている。
恐れは悪者ではない。
ただ、見ないふりを続けると怪物になるだけだ。
ぼくは今でも支払いは怖い。
税金も怖いし、売上ゼロの日はもっと怖い。
だけど、怖いものに向き合った経験があるから、
前よりはずっと強くなれた。
最後に、あの言葉の意味をもう一度かみしめたい。
最も恐れているものこそ、最もする必要がある。
その“必要”とは、
自分を苦しめるためではない。
自分を自由にするためだ。
恐れの正体を知るという行為は、
自分の人生の舵を、
再び自分の手に取り戻す行為でもある。
今日も今日とて、やきとりです。