最近、スーパーで買い物するたびに、
「なんか…前と違うよな」と思う瞬間が増えた。

値段が上がったというより、
日常そのものが“静かに薄くなっている”感じがする。

刺身のつまが消えていたり、
弁当が見たことないくらい軽かったり。

そんな“小さな変化”が積み重なるたびに、
胸の奥でスッと風が吹く。

今日は、そんな話をしたい。

 

昨夜、ニュースをぼんやり見ていたら、

思わず「うっそ、マジで…そんな」と声が出た。

家計簿をつけている女性が、

50ヶ月前とまったく同じ買い物をして、

どれくらい物価が上がったのかを検証していた。

50ヶ月。約4年2ヶ月。

当時は7,000円ちょうどだった買い物が、

今は1万1000円を超えていた。

差額が4,000円。57%アップ。

テレビを見ながら、

「そりゃキツいわけだ」と思った。

そして、自分自身がスーパーで感じている

あの”嫌な予感”と一致して、妙に納得もした。

買い物に行くとき、

「今日は5,000円くらいで済めばいいな」と

小さく願いながらカゴを押す。

でもセルフレジでピッと通していくと、

6000円、7000円なんてあっという間。

「もうこんなに…あ、こりゃ1万いくな」と

ここ最近、毎日っていうくらいつぶやいてしまう。

先日は、焦っていたせいか、

代金を入れ忘れて帰ろうとしてしまった。

店員さんに呼び止められたときは、

ちょーー恥ずかしかった。

そんなある日、刺身のパックを目にしたとき、

ふと違和感がよぎった。

あれ?なんか寂しくないかな?

あっ、そういえば、大根のつまがない。大葉もない。わさびすら入っていない。

ただ刺身だけが、ポツンと入っている。

そして、思った。

このスッカスカの状態に

誰も違和感を覚えなくなった感じが、

なんだか寂しい。

弁当もそうだ。

フタを開ければ、あげ底でスカッとしている。

ご飯の量も、前よりも明らかに少ない気がする。

シャケ弁当のシャケなんて、

もはや”せんべい”くらいの薄さになっている。

「これはさすがに、ないやろ」と

思わずツッコミを入れたくなる。

最近ネットで見た

「焼肉のタレ弁当」

という商品は衝撃だった。

白飯に焼肉のタレがかかっているだけ。

それで”弁当”。

なんか悲しくなる。

で、その動画のタイトルが

「遂に日本もここまできたか」だった。

若いころ、焼肉屋の前を通ると

「この匂いだけでご飯食えるよな」

なんて冗談を言っていた。

まさか、その冗談が現実になるとは思わなかった。

白飯にマヨネーズをかけて食べたことはある。

でも、まさかタレだけで食べる弁当が売られる時代が来るとは、思わなかった。

その動画には

「日本もここまで落ちたか」

というコメントがついていた。

その言葉に

正直、胸が少し重くなった。

ぼくらの日常はいま、

”値上げ”というわかりやすい変化だけじゃなく、

”見えない劣化”の中にいる。

量が減る。

質が落ちる。

味が薄くなる。

付属品が消える。

それでいて値段はほぼ据え置きか、むしろ上がる。

こういう静かな痩せ方が続くと、

人は無意識のうちに

外食への期待値を下げてしまうんじゃないかと心配になる。

「今日は家でいっか」

「外で食べなくてもいっか」

「また今度でいっか」

その”また今度”が、

飲食店の客足をゆっくり削っていく。

もちろん、

「それでも日本は豊かだ」

「工夫すればやっていける」

「飢え死にすることはない」

そういう声もある。

ぼくもそう思う。

ただ、

この”ゆるい劣化”に気づかないふりをするのも、

なんだか違うと思う。

そんな時代の流れを見ていると、

焼き鳥屋として、

はっきり思うことがひとつある。

どんなに世の中がどれだけしぼんでも、
自分の店までしぼませるわけにはいかない。

そこで、自分なりに”削らないもの”を決めている。

まず、豚肉は鹿児島県産の豚しか使わないってこと。

外国産のほうが確実に安いし、正直ラクだ。

でも、脂の甘みも香りも柔らかさも、全然違う。

ここは譲れない。譲ってしまったらダメなところだ。

炭もそうだ。

国産備長炭は値段が高い。高級だ。手間もかかる。

でも、風味が全然違う。

安い中国産とかの炭と比べ物にならない。

炭火が燃えるたびにいい味に仕上がってきてるぞ、と思う。

タレも同じ。

最近では、自家製ダレに無添加のだしを少し足している。

派手な味にはならないけど、じんわり落ち着く味になる。

ぼくは、このじんわりを大切にしたい。

そして、結局のところーー

手をかけた分だけ味に出る。

いいとか悪いとかじゃなく、ただ、それだけのことなのだ。

サボればサボった味になる。

丁寧にやれば、丁寧な味になる。

だから、ぼくは削らない。

串のグラム数を誤魔化さない。

火加減を誤魔化さない。

「美味しかったよ」を当たり前にしない。

”ありがとう”を適当に言わない。

物がどれだけ痩せてきても、

この店の心だけは痩せさせてはならない。

そういう小さな意地が、

これからの時代に必要な”軸”なんじゃないかと思っている。

焼肉のタレ弁当が売られるこんな時代でも、

ぼくは炭火を起こし、焼き鳥を焼く。

せめてこの店ぐらいは、
ちゃんとした味と、ちゃんとした気持ちを置いときたい。

それが、

静かに痩せていく日本で、

ぼくが守りたいものだ。

 

今日も今日とて、やきとりです。