人は、いつ本気で自分の人生と向き合うのだろう。

忙しさに紛れて先送りにしてきた“人生の軸”というやつを、
今日はどうしても言葉にしてみたかった。

テーマを持たずに生きていると、気づかないうちにブレてしまう。

ゴールのないマラソンのように、どこに向かって走ればいいのかわからずに、あっちにに走り、こっちに走りして
気づけば「なんでこんな場所に来てしまったんだろう」と立ち尽くしている。

ぼくは、そんな生き方を何度も繰り返してきた。

だからこそ、今日は逃げない。
言語化できるまで終わらないつもりで、
パソコンの前に座り、深呼吸をひとつした。

テーマの核心へ向かうために、まず“ゴール”から逆算する

自分の人生のゴールはなんだろう。
深く考えてみると、思い浮かぶのはただひとつだ。

好きなことで、人に喜んでもらう仕事をすること。

焼き鳥でも、文章でも、音楽でも、動画でも、
その人の気持ちが1ミリ明るくなるなら、それで十分だ。
誰かの一日がふっと軽くなる瞬間をつくれるなら、最高だ。

つまりこのゴールを逆算すれば、
生きるテーマも、おのずとこう落ち着く。

「好きなことで、人の一日を1ミリ明るくする」

この軸さえあれば、人生はブレようがない。
大きなことをしようとしなくていい。
誰かの人生を変える必要なんてない。

ただ、目の前の一人の一日が“1ミリ”だけ明るくなればいい。

このテーマにたどり着いたとき、
ふと胸の奥がじんわり温かくなった。
これまでの人生の断片が、一本の線につながるような感覚があった。

そして——ぼくはある記憶を思い出した。
生きるテーマなんて考えたこともなかった若い日の、自分の物語を。

鹿ナンバーのオンボロファミリアで走った、あの無計画な日

あれは、ぼくの“流され人生”の象徴みたいな出来事だった。

働いていたのは、地元のスーパーの魚屋。
学生でもなく、何かを目指しているわけでもなく、
「とりあえず働き出した」だけの無気力な若者だった。

親のコネで入った職場で、ただ時間を過ごしていただけだった。

通勤は、親父が乗っていたオンボロのマツダ・ファミリア。
パワステもない、パワーウィンドウもない、
カーステレオすらない昭和のかたまりみたいな車だった。

でも不思議と、あの車が好きだった。
休みの日には助手席にラジカセを積み、峠を攻めた。

“走り屋”なんてかっこいいものじゃなく、
ただ、走りたかっただけだ。

ある休みの日、なぜか、福岡に行きたくなった。
その日が仕事休みだったから、ただ「暇つぶし」のつもりだった。
親には「ちょっと遊びに行ってくる」とだけ伝えて家を出た。

走り出して気づいた。
金を持ってないということと、福岡はとんでもなく遠いということに。

当然、高速になんて乗れない。
鹿児島から福岡まで、ひたすら国道3号線を北へ向かった。

眠気に限界が来て、久留米のパーキングで車を止めて寝た。
目が覚めると、周囲には大型トラックしかいなくて驚いた。

運転手たちから見れば、こう思ったかもしれない。

「なんだこのボロ車。鹿?しか?鹿ナンバーってどこや?」
「初心者マーク貼って、何しに来とるんじゃ?」

いま思うと、その光景も含めて全部が“若さ”だった。

なんとか友達の街にたどり着き、公衆電話から職場に電話し、
道を教えてもらいながら、やっと再会できた。

その時点で、僕はすでに指宿の職場をぶっちぎっていた。
親も心配していた。
けれど僕は帰る気になれず、そのまま友達の家に泊まった。

楽しかった。
久しぶりの再会が、胸に沁みた。

そして気づけば——
僕はそのまま6年間、福岡にいることになる。

父が車を取りに来た日の“後ろ姿”が、ずっと胸の奥で刺さっている

後になって知ったことだが、
あのファミリアは車検切れだった。

ある日、親父が慌てて福岡まで車を取りに来た。
何も多くを語らず、ただキーを回し、
静かに車を持って帰っていった。

その後ろ姿を見たとき、
胸がギュッと締めつけられた。

「流されるように生きてきた自分に、
親父は何を思っていたんだろう。」

怒鳴られたり、責められたりすることはなかった。
だからこそ、余計に申し訳なかった。

あの背中には、言葉以上の何かがあった。

今振り返ると、
あの出来事は “自分の人生に責任を持つことの重さ” を
初めて感じた瞬間だった。

流されて生きてきたぼくを、いま支えているのは“当時の失敗”だった

頭の中がお花畑のまま生きてきて、
その場その場で流され続けた僕が、

いま焼き鳥屋としてカウンターに立ち、
毎日文章を書き続けている。

これって、過去の自分と比べると信じられないことだ。

でも最近思う。

あの無計画なドライブも、
あの車検切れのファミリアも、
トラックに囲まれて眠った夜も、
全部、今の僕を作る材料になっている。

流され続けてきたからこそ、
“流されない生き方”の必要性がわかった。

テーマを持たなかった痛みを知っているから、
テーマを持とうとする今がある。

親父の後ろ姿を覚えているから、
自分の人生に責任を持ちたくなった。

全部、ムダじゃなかった。

だから今、ようやく言える——ぼくはこう生きたい

今日、真剣に自分のテーマと向き合って思った。

ぼくは、派手な人生を望んでいない。
世界を変えたいわけでもない。
ただ——

好きなことで、人の一日を1ミリだけ明るくしたい。

それが自分の生きるテーマだ。

焼き鳥を焼いたり、
noteを書いたり、
インスタにちょっとした気づきを投稿したり。

その全部を貫く一本の線が、
ようやく見つかった気がする。

思い返せば、
鹿ナンバーのファミリアで国道3号線を走ったあの頃は、
“テーマを持たない人生”そのものだった。

でも今は違う。
焼き台の前に立つと、
心のどこかで小さな火が灯っている。

「今日も誰かの一日を1ミリだけ明るくできるかな」

そう思える自分が、
ようやく自分の人生を握り直している気がする。

親父がファミリアで帰っていった、あの後ろ姿を思い出す。

あの日のぼくにはわからなかったメッセージを、
今なら少しだけ受け取れる気がする。

——もう流されない。

結局のところ、自分の人生は自分で考えて決める。

このことを、やっとこの歳になって受け入れられた気がする。

今日も今日とて、やきとりです。