夜の店が、少しだけ静かになった。
もう一波来るか、このまま終わるか。
そんな曖昧な時間帯がある。
昨夜は、その曖昧さの中で、
ひとつ、忘れられない会話が始まった。
昨夜、一段落したかな、と思ったそのタイミングで、友達がふらっと店に入ってきた。
息子さんと、その彼女を連れて。
カウンターに並んで腰を下ろす。
とりあえずビール。
グラスを軽く合わせて、短い乾杯。
息子さんは、髪を染めて、パーマをかけていて、少し前に会ったときよりも、また一段大人びて見えた。
隣に座る彼女も、よく似合っていて、なんだかいい雰囲気だった。
時間にして、ほんのわずか。
長居するつもりでもないのが、こちらにも伝わってくる。
それでも、近況の話をして、最近亡くなった一つ上の先輩の話をして、昔の仲間の話をして、そして自然と、AIの話なんかにもなった。
不思議なもので、話題は散らばっているようで、どこか一本の線でつながっている。
誰かの死の話と、過去に縛られている人の話と、これからの技術の話。
全部、「時間」の話だったのかもしれない。
片付けをしながら、ふと、A君の顔が浮かんだ。
彼とは、最近も何度か偶然会っている。
スーパーで。
銀行で。
特別に約束をして会うわけでもないのに、なぜか定期的に顔を合わせる。
久しぶりに見るたび、少しずつ印象が変わっている。
顔つきが変わったように見えるし、体もだいぶ痩せた。
「体は痩せてきてるのに、腹だけは出るんだよね」
そう言って、冗談めかして腹を見せてくる。
笑っているけど、なぜか胸の奥がざらっとする。
「どっか悪いんじゃない? 大丈夫? 病院行ったほうがいいんじゃない?」
そう言うと、彼は笑いながら言った。
「毎日めっちゃ薬飲んでるから大丈夫」
相変わらず、タバコはスッパスパ吸っている。
焼酎は三日で一升瓶を空けるらしい。
そして、酒が入ると、決まって人の悪口が始まる。
「あいつは、あの時、俺のおかげでああなったのに、何もわかってない。クソが」
まるで昨日の出来事のように話すけれど、それは二十年くらい前の話だ。
二十年と聞くだけでも驚くのに、時には高校生の頃の話、小学生の頃の話までさかのぼる。
「あの男は、小学三年の時の誕生日会でな……」
もういいんじゃない?
そう言うと、機嫌が悪くなる。
だから、少しずつ距離を取るようになった。
昔からそういうところはあったけれど、ここ何年かで、だいぶひどくなった気がする。
病気が、そうさせているのかもしれない。
そう思おうとしても、正直なところ、どうしていいかわからない。
昨夜来てくれた友達も、A君とは距離を取るようになったと言っていた。
そのとき、彼がぽつりと言った言葉が、妙に胸に残った。
「友達と思っているだけに、残念だ。
なんとかしてあげたいけど、何もしてあげられない」
その言葉を聞いた瞬間、
ああ、この人も同じ場所に立っているんだな、と思った。
助けたい気持ちはある。
でも、代わりに人生を生きることはできない。
どんなに声をかけても、最後にハンドルを握るのは本人しかいない。
「そっちに行ったら、後悔することになるぞ」
そう教えているつもりでも、届かない。
いや、届いていないのか、届いていても選ばれないのか。
その違いすら、もうわからない。
だから残念なのだと思う。
怒りよりも、諦めよりも、残念さが先に立つ。
店の中は、すっかり静かになっていた。
ふと思った。
やはり、生きるベクトルが同じ人と話すと、心地いい。
意見が同じ、という意味じゃない。
価値観が完全に一致している、ということでもない。
ただ、
過去ではなく、今とこれからを見ている。
誰かのせいにし続ける場所から、少しでも前へ進もうとしている。
それだけで、会話の空気はこんなにも違う。
人は、変わらない誰かを見て、
自分がどこへ向かおうとしているのかを知るのかもしれない。
A君は、もし自分が立ち止まったままだったら、
こうなっていたかもしれない、という姿を映す鏡のようにも見える。
だからこそ、胸がざわつく。
だからこそ、完全には切り捨てられない。
でも同時に、
自分の人生は、自分で決断して進んでいくしかないのだと、
改めて思い知らされる。
誰かの人生を代わりに生きることはできない。
できるのは、
自分がどこへ向かうかを、静かに選び続けることだけだ。
昨夜は、
それを確認するには、
ちょうどいい夜だった。
今日も今日とて、やきとりです。