焼き鳥屋のカウンターには、
たまに、答えの出ない話が転がる。
酒が進んだ夜、
火の前で串を返しながら、
常連のチュルがぽつりと言った。
「なぁ、オヤジ。
パラレルワールドって、考えたことある?」
チュル
「今の世界とは別にさ、
ちょっと選択が違った人生が、
同時に存在してるってやつ」
オヤジ
「あるある。
考え出すと、キリないやつな」
チュル
「でもさ、
そういうの想像できる人ほど、
今の人生、雑に生きない気がするんだよな」
オヤジは、串を炭の上でひっくり返しながら、
「ほう」とだけ言った。
オヤジ
「ちょうど正月に、
そんな小説を読んだとこだわ」
チュル
「お、なにそれ」
オヤジ
「One って小説。
元旦の朝、店も休みでさ。
テレビもつけずに、
コーヒーだけ淹れて読んだ」
チュル
「意識高そう(笑)」
オヤジ
「うるさい。
でもな、読み終わっても、
人生変わった!みたいなのはなかった」
チュル
「じゃあ、なんだったん?」
オヤジ
「“今年も迷っていいんだな”って思えた」
チュルが、グラスを口に運ぶ。
チュル
「あー、それいいな」
オヤジ
「人生ってさ、分岐点だらけだろ。
あのとき別の仕事選んでたら、とか。
あの人と結婚してたら、とか」
チュル
「たられば祭りっすね」
オヤジ
「普通は“考えても仕方ない”で終わるけど、
その小説は違っててさ。
“もう一人の自分が、ちゃんと生きてる”
って描き方をするんだわ」
チュル
「やさしいな、それ」
オヤジ
「だろ。
正解かどうかなんて、誰にもわからん。
わからなくていい、って言われた気がした」
少し間が空く。
炭が、パチッと音を立てる。
オヤジ
「でさ、考えたんだよ。
パラレルワールドがあるなら、
市役所職員の俺も、どっかにいるなって」
チュル
「はは、いそう」
オヤジ
「窓口でハンコ押して、
昼はワンコイン弁当食いながら、
“自営業とかバカらしいよね”
とか言ってんの」
チュル
「完全に言ってますね」
オヤジ
「定時のチャイム聞いて、
時計ばっか気にしてる俺も、
たぶんいる」
チュル
「でも現実は?」
オヤジ
「炭の前で汗だく。
支払いに追われて、
頭の中じゃ
“あーーヤッベェーー”って鳴りっぱなし」
チュル、笑う。
オヤジ
「でもな、
どの世界線の俺も、
“これでよかったのか?”
って思ってる気がするんだわ」
チュル
「それ、わかるなぁ」
オヤジ
「格闘家の俺もいるかもな。
減量で水も我慢してさ」
チュル
「オヤジ、すぐ負けそう(笑)」
オヤジ
「一方こっちは、
閉店後にカップラーメンすすって
“今日くらいいいか”って言ってる」
チュル
「どの世界線でも敵ですね、それ」
オヤジ
「ほんとそれ」
少し静かになる。
オヤジ
「離婚してなかった俺も、
どっかにいるかもな」
チュル
「……」
オヤジ
「同じ家で、同じテレビ見て、
同じ話を何回もしてさ。
“クサっ”って言われながら、
ヘラヘラ笑ってる」
チュル
「幸せかどうかは…?」
オヤジ
「わからん。
でも、静かに続いてる人生は、
あったかもしれん」
チュルが、カウンターを見つめる。
チュル
「スーパーでさ、
隣にいる人も、
そうなのかもな」
オヤジ
「ああ。
別の仕事、別の暮らし、
別の世界線があったかもしれん」
チュル
「そう思うと、
人を雑に見れなくなりますね」
オヤジ、うなずく。
オヤジ
「いろんな世界線想像して、
いろんな自分並べてもさ」
チュル
「うん」
オヤジ
「どれか一つ選ばなきゃ、
今の自分はいない」
チュル
「……」
オヤジ
「で、最後に残る感覚は、
不思議なくらいシンプルなんだわ」
チュル
「なんすか」
オヤジ
「みんな、選択の前で迷ってる。
結局、みんな、ひとつ」
チュル、ゆっくり笑う。
チュル
「深いっすねぇ」
オヤジ
「だからさ、
選んだあとに、正解にするしかない」
チュル
「あとから決めるんじゃなくて?」
オヤジ
「そう。
選んだあとに、正解にしていく」
串を皿に置いて、オヤジが言う。
オヤジ
「世界がいくつあっても、
生きてるのは今ここだけだ」
チュル、グラスを置く。
チュル
「……で、オチは?」
オヤジ、にやっとして。
オヤジ
「今日も今日とて、やきとりです」