鏡の前に立った瞬間、ぼくは確信した。
「あ、もう限界だな」と。

この2週間、ぼくの頭の上では、ずっと小さな攻防戦が続いていた。

サイドの髪は伸びきり、もはや重力に逆らうことをやめている。

毎朝、粘度の高いポマードで必死に押さえつけ、力士がマゲが結える長さになるまでオールバックにしているような風にも見えるけど、まぁいっか、と言い聞かせてたけど、今日で終わりだ。

押さえても押さえても、しぶとく跳ね返してくる髪の生命力。トップは重たくのしかかり、ただでさえ規格外のサイズを誇るぼくの頭部は、まるでヘルメットをかぶっているかのようだった。

髪を切りたい。
今すぐにだ。
一刻の猶予もない。

「朝飯の前に、まず散髪だ」
そう決めた瞬間、体が勝手に動いた。車のキーを掴み、エンジンをかける。

向かう先は、馴染みの理容室——ではない。
ここ最近、足繁く通うようになった、とある「美容室」である。

昭和43年生まれのぼくにとって、髪を切る場所といえば、本来は床屋(理容室)だった。
クルクルと回る赤白青のサインポール。
蒸しタオルの匂い。
シェービングクリームのひんやりした感触。
あそこは男の聖域であり、身だしなみの原点だった。

それでも、ぼくはその聖域から逃亡した。
理由は単純にして、わりと深刻だ。「角」である。

ぼくが通っている美容室の隣には、同じ系列の理容室が並んでいる。
経営母体は同じはずなのに、そこから出てくる男たちは、なぜか揃いも揃って四角い。

どんなオーダーをしようが、最終的な仕上がりは決まって「昭和の板前」か、あるいは『ど根性ガエル』に出てくる寿司職人の梅さんみたいなフォルムになる。

質実剛健。

男らしいと言えば聞こえはいいけれど、令和の時代に、そして今のぼくの気分には、あの「直角の美学」はどうにも合わない。

歳を重ねると、人は丸くなる。
性格も、体も、だいたい丸くなる。

なら、髪型だって角張っているより、丸く収まっていたほうがしっくりくる。

隣の美容室は、そのあたりの感覚をわかっている。
おっさんの頭の角を、まるでヤスリで丁寧に削るみたいに、きれいに丸く整えてくれるのだ。
しかも顔剃りがないぶん料金も安いし、なにより早い。

「早い・安い・丸い」
今のぼくには、これ以上の条件はない。
迷わず、美容室のドアを開けた。

自動ドアが開くと、そこはちょっとした異世界だ。
パーマ液とフローラルが混ざった、あの独特の空気。
BGMは当たり障りのない洋楽。

店内に入るとすぐに番号札を発行する機械が置いてある。

ボタンを押して番号札を取ると、ちょっと小綺麗な中年女性がやってきた。

彼女はぼくを見るなり、こう言った。

「ここ、美容室ですけど、大丈夫ですか? 顔剃りとかないですよ」

言葉は丁寧。

でも、その笑顔の奥に、ほんの少しだけ別のニュアンスを感じ取ってしまうのは、たぶんぼくの被害妄想だろう。

「おじさん、隣の床屋と間違えてない?」

そんな空気が、口角のあたりからふわっと滲んでいる気がする。

でも、いい。
もうそこは気にしないことにしている。

「カットだけなんで、大丈夫です」
そう答えて、堂々と店内へ足を踏み入れる。

案内された席に座っていたのは、二ヶ月前に担当してくれた女性スタッフだった。
内心、ちょっとガッツポーズをした。
彼女は「当たり」だ。

美容室における最大のハードルは、「注文」だと思っている。
最近の若い美容師さんは、とにかく丁寧で、とにかく民主的だ。

「今日はどうされますか?」
「サイドは何センチくらい切りますか?」
「全体の雰囲気は?」

優しさなんだろうけど、質問が多すぎる。
こちらが答えに詰まると、決まって登場するのが「ヘアカタログ」。

これが、つらい。
ページをめくれば、小顔で肌の綺麗な20代のイケメンたちが、アンニュイな表情でこちらを見つめてくる。

還暦を目前にした、頭の大きいおっさんが、その写真を指さして「これでお願いします」と言えるわけがない。
それはもう、公開処刑に近い。

ぼくが求めているのは、キムタクでもなければ、K-POPアイドルでもない。
「なんとなくいい感じで、だらしなくない程度に整った、普通のおじさん」
ただそれだけなのだが、この「普通」という注文が、今の時代いちばん難しい。

でも、彼女は違った。
「サイドと後ろを短めにして、上を軽くして」
そう伝えると、「わかりました」と短く答えて、すぐにハサミが動き出した。

カタログは出てこない。
余計な確認もない。

ぼくの髪の生え癖と、頭の形(大きいけれど)を一瞬で把握して、最短距離で正解に向かっているのがわかる。
ハサミのリズム。
櫛が髪を梳く感触。
心地よくて、気づけば深く眠っていた。

「お客さーーん、もみあげはどうしますか?」

遠くから声が聞こえてくる。

もうろうとした意識の中で、「もみあげ」という単語だけがクリアに響いた瞬間、記憶の扉が開いた。

高校時代。地元の古い散髪屋。
目の前に迫る散髪屋のオヤジの顔。
1980年代、テクノカット全盛期。

YMOが流行り、街にシンセの音が溢れていたあの頃。
もみあげを鋭角に剃り落とし、襟足を刈り上げる。
あの無機質なフォルムこそが、「ナウい」男子の象徴だった。

でも、ぼくはあれが好きじゃなかった。
流行だからといって、みんながもみあげを失っていくことに違和感があったし、何より自分に似合う気がしなかった。

けれど、散髪屋のオヤジは違った。
「もみあげどうする? テクノにする?」
オヤジの目はやたらと輝いていた。

距離、数センチ。
鼻毛が揺れているのが見えるほどの至近距離。
断れるわけがなかった。

「……じゃあ、やってみます」
そう言った瞬間、ジョリッという乾いた音とともに、ぼくのもみあげは消えた。

鏡の中にいたのは、YMOとはほど遠い、ただもみあげを失って青ざめた高校生だった。
恥ずかしかった。
流行に乗ったことが恥ずかしかったんじゃない。
自分の感覚を曲げて、空気に流された自分が、ただ恥ずかしかった。

「……お客さん?」

再び声がして、現実に戻る。
鏡を見ると、そこには自然に整えられたもみあげがあった。
剃りすぎていない。
やりすぎていない。
ただ、ちょうどいい。

彼女は聞いてきたふりをしながら、もう答えを知っていたのだと思う。
このおじさんは、派手なことは望んでいない。
ただ、ちゃんと普通でいたいだけだと。

それが、わかっていた。

これって、実はものすごいことだと思う。
言葉にしなくても、ちゃんと伝わるということ。
いまの時代、これは奇跡に近い。

帰り道、車の中で、ぼくは自分の店のことを考えていた。
「つかさ」で、ぼくはこれができているだろうか。

タブレットでお客さんは注文してくれるけど、えーーータブレットーー?苦手なんですけど、、、

お店側からすると便利なタブレットでも、お客さんからすると負担を感じている人もいるかもしれない。

本当にいい店って、言われる前に出てくる。
疲れていそうなら、ちょっと濃いめの一杯。
黙って飲んでいるなら、無理に話しかけない。
グラスの減り方ひとつ、座り方ひとつで、その日の空気を読む。

美容室のお姉さんが、ぼくの過去なんて知らないのに、ちょうどいいもみあげを出してくれたように。
それがプロなんだと思う。

察する力。
言葉にならない部分をすくい取る力。
これは、AIにもマニュアルにもできない。

バックミラーに映る自分を見る。
角の取れた髪型。
少しだけ優しそうに見える顔。

悪くない。

今夜も、いろんな客が来るだろう。

彼らの心の角を、美味しい焼き鳥と焼酎で、まんまるく削ってやれたら最高だ。

さて、仕込みの時間だ。

今日も今日とて、やきとりです。