夕暮れ時、備長炭の火を団扇で煽ぎ、今夜の戦場を整えていると、焼き場の窓から二人の男性がやってくるのが見えた。
「5時からでしょ?」
一見すれば普通の観光客のようだが、その立ち居振る舞いには、どこか異国の風が混じっている。
日本語は流暢だが、イントネーションの端々に、海を越えてきた者のリズムが残る。彼らは席に着くなり、迷わず大ジョッキを注文した。

 

 1. 期待と現実のギャップ、そこにある「文化の摩擦」

運ばれてきたジョッキを見るなり、二人の顔に不満の影が差した。
「えーー、これが大ジョッキ?」。
冗談かと思えば、彼らの目は真剣そのものだ。
聞けば、1リットルはある巨大な器を想像していたという。
指宿の焼き鳥屋に、ドイツのビアホールのような規格を求めるそのズレ。この「常識の乖離」こそが、今夜の「ドブ板営業」の幕開けだった。

 

一人は快活に笑い、一人は氷のように無愛想。
この対照的なコンビが、今夜のカウンターを静かに侵食していく。
そして、店内の様子を品定めするように、気さくな方の男が声を上げた。

 

「おやっさん、一人でやってるんでしょ?」

(おっさんに、おやっさんって言われたー笑)

ネットという情報の海を泳ぎ、この小さな店を目指してやってきたのだろう。
便利さと裏腹にある、逃げ場のない注目。
一人の男が切り盛りする店であることを理解して座る客の視線には、期待と、少しの同情、そして「どこまで許されるか」を試すような色が混じっていた。

 

 2. キャベツ戦争 ―― デジタル時代の泥臭い攻防

 

焼き鳥の盛り合わせを出すと、二人は「これこれ」と目をまんまるくして喜んでくれたが、そこからが本番だった。
気さくな男が会話のテンションを引き上げる一方で、相方の男は一度も目を合わせない。
冷たい視線を焼き台に投げ、口を開いたかと思えば「キャベツのおかわり」だ。
「キャベツは無料?だったらちょうだい」。
そこに感謝の響きはない。
あるのは、権利を行使するかのような無機質な要求だけだ。
ドリンクが日本酒へと移り、冷酒の小瓶を二人でチビチビと空けていく中、無愛想な男の「おかわり」は止まらない。空になった皿を高く掲げ、無言で要求する。
二回、三回。最初は添えられていた「ありがとう」が、四回目を迎える頃には完全に消えた。彼らにとって、キャベツが届くことは、もはや呼吸と同じ「当たり前のインフラ」と化していた。
今の時代、注文や決済はデジタルで効率化できる。しかし、目の前の客が放つ理不尽な要求や、言葉にならない感情の澱(おり)を受け止めるシステムは存在しない。
この泥臭い「感情の処理」こそが、ワンオペ店主にとっての「ドブ板営業」そのものだ。
店内が慌ただしくなる中で、五回目の「おかわり」が来た。皿を置くとき、ぼくはニコニコと笑いながら、腹の底でこう呟いた。
「いいだろう、貴様が何回おかわりできるか、トコトン付き合ってやろうじゃないか」
それは怒りではない。焼き鳥屋のオヤジとしての意地であり、言葉の通じない相手に対する、最もプリミティブな「対話」だった。

 

3. 剥き出しの人間性と、ワンオペの真骨頂

やがて、テーブルからポテトの注文が入った。大ジョッキに文句を言い、キャベツを貪り食っていた彼らが、今度は揚げ物を欲しがる。
しかし、ポテトを運ぶと、無愛想な男は平然と言い放った。
「そんなの頼んでない」。
ここが、デジタルとアナログが交差する分岐点だ。
ぼくは黙ってセルフオーダーの履歴を示す。
そこには揺るぎない「注文の証」が刻まれている。
気さくな男が「あるじゃん」と指差して笑っても、無愛想な男の表情はピクリとも動かない。 その直後、気まずさを隠すように、またしても「キャベツおかわり」の声。
この時、ぼくの中にあったのは「呆れ」ではなく、ある種の「納得」だった。
客は、完璧な立ち居振る舞いをしに来るのではない。
剥き出しの自分を、誰かに、あるいはこの空間に受け止めてもらいに来るのだ。感情を殺したような男が、何度も同じ皿を差し出す。
その不器用な反復こそが、彼なりの「この店への甘え」であり、救いを求めるシグナルだったのかもしれない。
忙しさのピークに、男がぼくを呼び止めた。また、キャベツか。
そう身構えたぼくの耳に届いたのは、「お茶ちょうだい」という、少しだけトーンの落ちた言葉だった。
熱いお茶を運ぶ。その湯気の向こうで、彼らはようやく「戦い」を終えた兵士のような顔をしていた。

 

 4. ドブ板の先に拾う「価値」

 

会計時、「日本語がお上手ですね」とぼくが言うと、気さくな男は「いえいえ、まだまだ修行中ですよ」と笑った。目が笑わない男は明後日の方向を見ている。
言葉の壁、文化の壁。1リットルのビールを夢見、無料のキャベツに執着し、注文ミスを突っぱねる強情さ。
それらはすべて、異国に来た彼らの「鎧」だったのかもしれない。

 

気さくな男は「ありがとう、美味しかった」と笑い、目が笑わない男は、最後まで明後日を向いたまま店を出た。

 

一人で店を回していると、合理性だけでは説明のつかない非効率な瞬間に何度も出くわす。
けれど、それらすべてを「雑音(ノイズ)」として切り捨てるのではなく、一つひとつの感情を丁寧に拾い上げていくこと。
効率化された現代において、これほど贅沢で、これほど人間臭い仕事があるだろうか。

 

なぜ彼はあんな目をしたのか。なぜ、執拗にキャベツを求めたのか。
その裏側にある背景を想像し、受け止める。その泥臭いプロセス(ドブ板)こそが、ぼく自身を、そしてこの店を強くするんだろうな、と思った。。

 

 5. 「いつもと変わらず」という最強の戦略

 

もし、あの「目が笑わない男」が、後日ふらりと一人でやってきたら、ぼくはどうするか。
答えは、最初から決まっている。

 

「こんばんは!いらっしゃいませ」

 

いつもと何一つ変わらない笑顔で迎え入れる。
それだけだ。
「昨日はキャベツを食べすぎだぞ」と笑うわけでもなく、「もう来るな」と冷遇するわけでもない。
昨夜の攻防をまるでなかったかのようにリセットし、ただ「今、この瞬間の客」として向き合う。
それは単なる優しさではない。
どんな客が来ようと、自分のスタイルは崩さないというのが、自分なりの最強の戦略だ。
キャベツを何杯食われようが、無愛想に睨まれようが、店の中ではぼくがルールだ。
客に振り回されるのではなく、客の未熟ささえも「店の風景」として飲み込んでしまう。
指宿の夜は更けていく。明日の5時、また誰かが「1リットル」の幻想や、言葉にならない孤独を抱えてやってくるかもしれない。
その時、ぼくはまた団扇を手に、変わらぬ笑顔で炭を熾しているはずだ。
一対一で向き合い、感情を拾い、泥臭く自分を磨く。
やっぱり、ワンオペ営業という名の「ドブ板営業」は、やめられない。
今日も今日とて、やきとりです。