序章:消えた鎖と、三ヶ月の空白
夜の帳が下り、指宿の風が少し冷たさを帯び始めた頃。居酒屋「つかさ」に、懐かしい声が響いた。
「よっ!久しぶりー、覚えてる?」
以前よく顔を出してくれていた女子高生たち。最後に見たのは三ヶ月ほど前だったか。当時は、口元から長いチェーンのようなピアスをぶら下げていたのが強烈な印象として残っている。
「それ、痛くないの? 食べる時邪魔じゃない?」
かつて思わず質問したとき、彼女たちはケラケラと笑いながら「全然」とピアスを引っ張って唇がビヨンビヨン伸びるところを見せてくれた。
その自由奔放で少し尖ったエネルギーに、「最近の子は気合いが入ってるな」と妙に感心したものだ。
だが、再会した彼女たちの顔からは、あの重々しい鎖が消えていた。
「あれっ、口にピアスしてないじゃん」
問いかけると、「学校にバレてさ、しばらく外してたら塞がっちゃった」と、驚くほどサバサバした返事。
あんなにこだわっていたように見えたピアスも、季節が移ろうのと同じくらいの執着だったのかもしれない。
髪の色は黒くなり、どこか「おねーさん」の階段を一段登ったような、大人びた雰囲気を纏っていた。
第一章:居酒屋に溶け込む「JK」という風景
注文はいつだって可愛らしい。 「ジュース! あと焼き鳥の盛り合わせとポテト!」
おめかしをして、寒い中を短パンにブーツで決めてきた彼女たちが、慣れた手つきでタブレットで注文する。マクドナルドや牛丼屋にでも入るような気軽さだ。
アルコールの匂いが漂う大人の社交場に、女子高生が「よっ!」と入ってくる光景には、今でも「居酒屋慣れしすぎだろ!」とツッコミを入れたくなる。
しかし、運ばれてきた焼き鳥を見て「わぁー美味しそうー!」と一斉にスマホのシャッターを切る姿は、紛れもない現代の高校生そのものだ。
隣の席で静かに飲んでいた年上のおねーさんたちも、その光景を温かい眼差しで眺めていた。
「追加お願いします!」
本日二回目の「うわー美味しそうー!」が聞こえてくる。
電車に揺られ、わざわざ「つかさの焼き鳥」を食べに来てくれる。そんな未来が、本当にもうここにある。それは売上目標を達成するよりも、ずっと誇らしい瞬間だった。
第二章:ギャップに隠れた誠実さ
お会計の段取りには、彼女たちの「実直さ」が表れていた。 チャラチャラとした外見に反して、お金の扱いは実に潔癖だ。
「誰々は何を食べて何を飲んだからいくら、私はこれとこれを食べたからいくら」
一円単位の誤差も許さないような、正確な割り勘。現金を手際よくまとめ、笑顔で差し出す。
誰に教わったわけでもないだろうが、彼女たちの中には「自分の分は自分で責任を持つ」という、自立したルールが確立されていた。
「じゃあね、バイバイ、またね!」
嵐のように去っていった後、残された静寂の中で「さて、焼酎でも一杯ひっかけるか」と準備を始めた。しかし、物語はここで終わらない。
「すみませーん! トイレ貸してください!」
数分後、血相を変えて戻ってきた。外に出た途端、急に催したらしい。一人がトイレに駆け込み、もう一人が扉の前で細かく地踏みをしながら順番を待っている。
その時だ。トイレを待っていた彼女が、何かを思い出したように店内を見渡した。そして、ついさっきまで座っていたテーブルに目を止めた。
「あっそうだ、待ってる間、テーブルを片付けようっと」
誰に言われるでもなく、自分たちが使い散らかしたグラスを集め、皿を重ね、おしぼりをまとめた。それは「ついで」の作業ではなく、実に手際の良い、訓練された動きだった。
「うっそー、ありがとうねー!」
驚いて声をかけると、彼女は少し得意げな顔で笑った。
「バイトで慣れてるからね。週末だけ、〇〇で働いてるんだよ。学校公認だから大丈夫!」 「へぇー、だからいつもお金持ってんだ」 「いやいや、いつもカツカツだよー!」
トイレから出てきたもう一人も、「チェンジチェンジ!」と入れ替わる際に、友人の姿を見て「私も片付けようっと」と手を動かし始めた。
最後にトイレから出てきた子は、「ほら、そこにおしぼり残ってるよ」と司令塔のような指示まで飛ばしている。
そんな彼女たちをみて、何か、お礼がしたくなった。
なんかないかな、何がいいかな、と思っていたら、「ポイントカード」が目に入った。
第三章:ポイントカードに宿る、魂の宛先
カウンターの端に置かれた一束のカードに手を伸ばす。 以前作ったまま、一度も配ることなく眠っていた「ポイントカード」だ。
「ゴールするとドリンク一杯と焼き鳥3本をサービス」
そんな特典を謳ったカードだったが、どうしてもこれを「誰にでも配る」ことができなかった。ポイントカードは、単なる再来店を促すツールに成り下がってはいけない。
それは店主から客への「また会いたい」というラブレターであるべきだ。そう考えれば考えるほど、手渡すべき相手を選びすぎてしまい、結局、引き出しの奥で眠らせることになっていた。
だが、今ならわかる。
このカードを渡すべき相手は、彼女たちのようにお店に寄り添ってくれる存在だ。 口にチェーンを巻いていようが、短パンでいようが関係ない。
店の忙しさを察し、自分たちのテリトリーを整え、「ごちそうさま」の代わりに皿を下げてくれる。そんな「つかさ」という空間を一緒に守ろうとしてくれる人たち。
「これ、ポイントカードなんだけどさ、よかったら使ってよ」
呼び止めて、ハンコを二つおまけして渡した。どんな顔をするか、ワクワクしながら観察していた。
しかし、女子高生という生き物は、いつだって予想を斜め上に飛び越えていく。 受け取った二人は、不思議そうな顔でそれをじっと見つめ、同時に叫んだ。
「うわっ、ゴールまであと8回も来なきゃいけないじゃん!」
感傷に浸っていた心に、彼女たちの「素直すぎる正論」が突き刺さった。
8回。確かにそうだ。指宿の高校生にとって、焼き鳥屋にあと8回来るというのは、なかなかの高い壁である。
「た、確かにそうだよな……」 苦笑いするしかなかった。58歳の親父が、高校生相手に「友達かよ」と自分にツッコミを入れながら、手を振って見送る。
彼女たちは、ポイントカードという「店側の都合」さえも、一瞬で笑いに変えてしまった。
終章:未完成な店主と、成長の種
店を完璧に整えてから客を迎えようとする。
サービスも、メニューも、ポイントカードも、非の打ち所がない「完成品」を提供しようと躍起になる。
しかし、本当の商売は、そんな堅苦しい場所にはないのかもしれない。
彼女たちが教えてくれたのは、「店は、客との対話の中で育っていくものだ」という真理だった。
「あと8回は長い」という言葉は、裏を返せば「もっと気軽に来れる仕組みがあればいいのに」という期待の裏返しでもある。
皿を下げてくれたあの親切心に、何を返せるだろうか。
8回のスタンプを5回にするべきか? それとも「皿を下げてくれたらスタンプ倍増」という遊び心を加えるべきか?
そんな風に客の反応に一喜一憂し、その場でルールを書き換えていく。それこそが個人店の醍醐味であり、ぼくが「つかさ」を続けている理由なのだ。
「純粋につかさの焼き鳥を楽しみに来てくれる人」
ようやく見えてきた理想の客像は、決して小難しい顔をした評論家ではない。
口ピアスを外して少し大人になり、でもポテトを食べて「美味しい!」と叫び、去り際にテーブルを綺麗にしてくれる。そんな、体温のある彼女たちのことだった。
まだ手元に残っているポイントカードの束を眺める。 明日からは、もう少し気楽に、この「ラブレター」を配ることができそうだ。
「つかさ」もぼくも、まだまだ成長の途中。 58歳の親父を「友達」のように扱ってくれる、あの頼もしい女子高生たちが、また店に来てくれる日を指折り数えて待つことにしよう。
たとえ、ゴールまであと8回かかるとしても。
今日も今日とて、やきとりです。