予兆、あるいは21時の静寂

鹿児島県指宿市。夜の21時を回ると、街の喧騒は急速に引いていく。

薩摩半島の南端に位置するこの街で、炭火を預かる焼き鳥屋のカウンターに座っていると、外の静寂が逆に耳に響く瞬間がある。

その夜、一本の電話があった。

「今から、いけますか」という、少し急いだ、しかし弾んだ声。関西弁の男だった。

「あの電話の人、本当に来るのかな」

そんな疑念が頭をよぎった頃、引き戸が勢いよく開いた。

現れたのは、夜の指宿には不釣り合いなほどに陽気な、エネルギーの塊のような二人連れだった。

「神戸から来ましたわー! 2週間前から、ここに来よう思てましたんや!」

その一言で、店内の空気は一変した。

男は、将棋の羽生善治氏を彷彿とさせる知的な風貌ながら、口を開けば「コッテコテ」の関西弁が溢れ出す。そのギャップが、初対面の壁をあっさりと突き崩す。

隣には、瞳を輝かせた可愛らしい女性。彼女の表情には、長い旅路の果てにようやく「目的地」に辿り着いた安堵と興奮が混ざり合っていた。

究極のアイスブレイク:パロディの力

ここで一つ、奇妙な「事件」が起きる。客席に案内するよりも早く、彼女がぼくの胸元を見て、吹き出したのだ。

「ユニクロかと思ったら、イロクロやん! なにこれ、おもしろーい、あははは!」

ぼくがその日着ていたのは、世界的ブランドを模した「イロクロ」のTシャツだった。

高一の息子からのお下がり。息子からお下がりもらうなと、って笑うかもしれないけど、あまりそこはつこっみを入れないでほしい。

そんな着るものに無頓着なので、正直、胸に書いてある文字なんて気にしたことなかった。

最初はなんで笑ってるんだろう?と思っていたけど、ようやくその笑いの意味がわかった。たしかに「ユニクロ」のロゴに似た感じで「イロクロ」と」書かれている。

 「ほんまや、ユニクロかと思うたら、イロクロやー、おもろっ!」

男も同調し、店主と客の距離は一気に数センチまで縮まった。

ビジネスにおいて、完璧なブランディングは確かに重要だ。

しかし、個人の飲食店において、客が求めているのは「完璧なシステム」ではなく「生身の人間との接触」である。

店主が晒した、いい大人の、それも還暦間近の男が選んだお茶目な「隙」。それが、神戸から来た二人の心の鍵を一瞬で開けた。

「この大将、面白いな」

その確信が、これから始まる食事という体験を、単なる摂取から「交流」へと昇華させたのだ。

「二週間」という長い前菜

特筆すべきは、男がさらりと言ってのけた「2週間前から」という言葉の重みである。

現代の飲食業界において、客の流入経路を分析することは「鉄則」とされる。

SNSの広告か、Googleマップの口コミか、それともメディアの記事か。

データ上では、それらは「1PV」や「1コンバージョン」として処理される数字に過ぎない。

しかし、彼らにとっての2週間を想像してみる。

「指宿に行くなら、あそこに行こう」と決めたあの日。

仕事の合間に店の画像を眺め、炭火で焼かれる鶏の姿を想像し、二人で会話のネタにしていた時間。その14日間、彼らの脳内では、店主の店がすでにオープンしていたのだ。

つまり、彼らは店の扉を開ける前に、すでに「期待値」という名の最高の前菜を十分に味わっていたことになる。

差し出された「鶏のたたき」を口にした時の感激。焼き鳥を頬張り、言葉にならない唸り声を漏らす様子。

それは、2週間積み上げられた期待が、期待通りの、あるいは期待以上の現実と衝突した時に放たれる火花のようなものだ。

データが捉えるのは「来店した」という事実だけだが、商売の本質は、その裏側にある「待ちわびた時間」の満足度にある。

方言という名のジャズ、そして巡恋歌

男は焼酎の水割りを、彼女は梅酒のソーダ割りを注文した。店内には、長渕剛の『巡恋歌』が流れ始める。昭和の泥臭い情念がこもったフレーズが、令和の夜のカウンターに響く。

「あっ、この歌いい! 大将、これなんていう歌?」

彼女が素直な好奇心で問いかける。

長渕の巡恋歌知らないんだ、と思いつつ「長渕剛の、巡恋歌ですよ」 と答えた。

その瞬間、彼女はさらに笑い声を上げた。

「大将、めっちゃなまってますね!」

かっ、かわいい、いちいち可愛いことを言ってくるな、そういうあなたの関西弁も素敵だよ、と言いたかった。

地元の人と話をするときは感じないけど、県外の人と語る時は感じる。自分でもわかる。

薩摩弁(カゴンマ)のイントネーション。それは、この土地で生きてきた人間だけが持つ、固有のメロディだ。

「そうですかー、そんな訛ってますかね」 と返しつつ、もうすでにその「そうですかー」がなまっている。

店主もまた、自分の言葉が「カゴンマ」であることを再認識する。一方、二人が話すのは、リズム感溢れる関西弁だ。

異なる土地の言葉がぶつかり、混ざり合う。それは、ジャズのセッションに近い。言葉の意味以上に、その「響き」が心地よい。

彼女の関西弁を「可愛いな」と感じ、店主の訛りを「面白い」と笑う。

このやり取りは、マニュアル化された接客用語では決して到達できない領域だ。土地の言葉を使い、土地の物を食べ、土地の人間に触れる。

これこそが「旅」の醍醐味であり、その場を提供することこそが、地方で商売を営む者の誇りなのだろう。

11歳の差と、突然の別れ

二人の仲の良さに、「新婚旅行ですか?」と水を向けると、彼女は笑いながら否定した。

「新婚旅行やて。私たち、11離れているんですよ」

その言葉の裏側にある物語を深掘りしたくなるが、彼女は梅酒をグーッと飲み干そうとする。それを見た男が、間髪入れずに釘を刺す。

「やめときって。知らんデー、ほんまに。どうなっても、そん時は神戸に先に帰らせてもらうデー」

この突き放すような、それでいて親密な「知らんデー」という響き。

ぼくはここで深追いせず、スルーすることを選んだ。

客のプライベートに踏み込みすぎず、かといって疎遠にもならない。その絶妙な距離感が、カウンターの居心地を作る。

そして、別れは唐突にやってきた。 「大将、タクシー呼べる?」 タクシーが到着し、乗り込む間際、男は店主に言った。 「神戸でなかなかこんな美味しいもん食べられへんよ、ありがとね」

その言葉を残して、タクシーは指宿の夜に消えていった。

データは「過去」を語り、感動は「今」を肯定する

静まり返った店内で、店主は「しまった」と思う。

「なぜ、2週間前からここに来たかったのか」を聞きそびれた。

ビジネスマンとしての自分が、情報の欠落を悔やんでいる。しかし、もう一人の自分が、それを静かに否定する。

「流入経路」というデータを知ったところで、何になるのか。 彼らが残していったのは、Tシャツへの爆笑であり、長渕の歌への感動であり、焼き鳥への唸り声だ。

「なぜ来たか(Why)」という過去の分析よりも、「来てどうだったか(How)」という現在の感情の爆発こそが、ビジネスの、いや、人間関係の正解(答え合わせ)ではないか。

もし、店主が「何を見て来られましたか?」と野暮なアンケートを取っていたら、あの魔法のような時間は色褪せていただろう。商売人は時に、データの収集よりも、目の前の人間が放つ熱量に身を任せるべきなのだ。

還暦前の少年

タクシーを見送り、炭火の前に戻ったぼくの心は、少しだけ軽くなっていた。 還暦を前にして、一人で店を回す日々。

肉体的な疲労や、経営の不安がゼロであるはずがない。

しかし、一人の魅力的な女性が来店し、自分のユーモアに笑い、自分の訛りを愛でてくれる。その体験だけで、男は「少年の心」を取り戻すことができる。

素敵な女性を見てテンションが上がる。そんな単純で原始的なエネルギーが、焼き鳥の火加減を絶妙にし、客への言葉に熱を宿す。

ビジネスの本質は、結局のところ「人の心を動かすこと」であり、そのためには「自分自身の心が動いていること」が絶対条件なのだ。

神戸から来た、羽生さんに似た男と、可愛らしい彼女。 彼らが残した「美味しかった、ありがとね」という言葉は、店主にとっての勲章であり、明日もまた火を起こすための燃料となった。

指宿の夜、データには決して載らない「答え合わせ」が、確かにそこにはあった。

今日も今日とて、やきとりです。